2015年10月27日火曜日

マゴジャクシ

 夏井川渓谷の隠居へ出かけても、東日本大震災後は、対岸の森へはめったに足を運ばなくなった。おかげでもう一人の私「モリオ・メグル氏」の出番もほとんどない。キノコは生えるが採れない――ではつまらないではないか。
 日曜日(10月25日)。早朝の一斉清掃が終わり、行政区の保健委員(成り手がいないので区長が兼務)として、決められたごみ集積所を回り、出されたごみ袋の数を集計したあと、渓谷の隠居へ直行した。朝ご飯は隠居で食べた。

 カミサンは隠居の居間を夏座敷から冬座敷に替えた。快晴、強風。外にいると鼻水が垂れ、手がかじかんだ。首都圏では「木枯らし1号」が吹いたという。東京には「木枯らし1号」が吹いて、いわきには吹かないのか。こういう気象庁の「定義」がいわきの人間には理解できない。

 風に倒れた1本の三春ネギを、土を寄せて立て直すともうやることがない。カメラは2台。1台は望遠レンズ付き、もう1台はいつも持ち歩いているもの。いつもの1台だけだったら、モリオ・メグル氏も動き出さなかった。クリタケは決まって10月25日前後に採った――モリオ・メグル氏の記憶がよみがえり、首と肩からカメラを提げて森へ入った。
 
 モリオ・メグル氏が定点観測を始めて20年。対岸の森の中の道沿いだけでもチェックポイントがいくつかある。別に思い出そうとしないのに、森の中に入るとキノコを採取した場所と時期がぱっと思い浮かぶ。頭ではなく、体にしみこんだ記憶は消えることがない。
 
 第一のチェックポイント、「木守の滝」周辺。キノコは見当たらない。第二ポイントは小さな平坦地。木々が林立している。モミの大木が枯れて倒れていた。
 
 その根元にチョコレート色の傘を持ったキノコが3本。マンネンタケと思ったが、仲間のマゴジャクシだった。根っこから掘り取り、帰って計測すると、傘の長径は13センチ、柄の長さは28センチあった=写真(ひもから下は地中部)。
 
 それからさらに奥へ進む。モリオ・メグル氏の記憶に従って2~3、チェックポイントをのぞいた。谷側の大きな倒木(名前がわからないのがしゃくだが)にツキヨタケと思われるキノコがわんさと出ていた。急斜面を下りて確かめるほどの気持ちがわかないのは、毒キノコとわかっているから?
 
 その先へ少し行ったあと、Uターンした。ずっと奥まで行けるが、すでに晩秋で森は乾いている。キノコはたぶんない。
 
 つり橋付近まで戻ると、隠居の隣人がいた。キノコの話になった。「マツタケは1本、とろけかかったのを採っただけ」だという。8月中旬からの曇雨天がキノコの発生を促したが、終わりも早めたのだろう。
 
 マゴジャクシはそんな季節のなかで形成された“芸術品”だ。床の間か、テレビのわきに飾っておこう。

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