2015年10月31日土曜日

カフェタヒラ

 きのう(10月30日)朝、私のブログを読んだ若い知人から電話が入った。平高専(現福島高専)の寮誌「くずかご」8号を借りたい、というので同意した。間もなくやって来て雑談になった。平・三町目界隈の歴史の話が主だった。私が、新島襄の泊まった十一屋とか、大正時代の西洋料理店「乃木バー」のことを調べていると言ったら、目がタカになり、耳がウサギになった。
「三町目ジャンボリー」にかかわっているという。日曜日の街なかに人を呼び込もうと、三町目商店会の青年部が始めたイベントだ。そのイベントに歴史をからめたら、いいトピック(話題)になる。その土地の履歴に触れて楽しめる。こちらが知っている情報(たとえば「山村暮鳥と十一屋」など)は提供するよ、となるのは自然の成り行きだ。

 情報収集の一手段として、いわき総合図書館のホームページをのぞくことを勧めた。<郷土資料のページ>に地域の新聞・地図・絵はがきなどが収められている。オープンデータだ。「いわきの大正ロマン・昭和モダン」に興味があるので、ときどき大正・昭和時代のいわき地方の“電子新聞”を見ている。関東大震災後のいわきの様子などがわかる。

 彼が帰ったあと、思い出したことが二つあった。一つは暮鳥の詩。暮鳥の磐城平時代、好間・川中子(かわなご)の「猪狩ばあさん」が十一屋の前で種物売りをしていた。「三町目ジャンボリー」の元祖のようなものではないか。
 
 暮鳥の詩「穀物の種子」は「猪狩ばあさん」をモデルにしている。そのエピソードがおもしろい(詳しくは小欄、2013年1月29日「暮鳥と洋物店」、同2月1日付「種物売りばあさん」を)。「三町目ジャンボリー」の次の展開の材料になるかもしれない。

 もう一つ。大正時代、三町目の「乃木バー」と同じ西洋料理店に「カフェタヒラ」があった。「カフェタヒラ」では、暮鳥のまいた種から花開いた詩人の詩集出版記念会が開かれている。平の本町通りだと思うが、どこかわからない――数年越しの宿題だ。彼と話した余韻から、もしかしたら広告にあるかもしれないと、<郷土資料のページ>にある新聞をチェックした。

 図星だった。大正12(1923)年11月13日付「常磐毎日新聞」(12日夕刊として配達)に広告が載っていた=写真・上。「松島湾の養殖カキ貝の取次店を始めた、カキフライ1枚20銭」といったことを宣伝している。ポイントは店の所在地。「平町紺屋町(住吉屋本店前)」。「一町目あたり」という推測は外れた。その先、松ケ岡公園寄りに店があった。

 平成17(2005)年夏、いわき市立草野心平記念文学館で「山村暮鳥展――磐城平と暮鳥」が開かれた。図録に「平町市街全図」が載る。それを引っ張り出して紺屋町付近を探る。通りの南側に「住吉屋」、道路向かいの角に「警察署」(現せきの平斎場)、その西隣、すなわち住吉屋の向かい(前)は「一九イ」と「一八ノ一」番地。そのどちらかが「カフェタヒラ」だと知った=写真・下。
 数年間、悶々としていたものが、調べる切り口をちょっと変えただけで、あっという間に、いながらにしてわかった。デジタル技術のすごさだが、今回はたまたまヤマ勘が当たったのだ。これで99%は決まり、あとは記録と証言を拾えば「カフェタヒラ」の場所が確定する。

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