2015年10月21日水曜日

アンケートも同じ

 いわき地域学會の10月の市民講座(17日開催)は、地理学の大谷明幹事が担当した。「いわきの地誌――地域の地理的事象の過去・現在・未来を共に考えてみましょう」というテーマで話した=写真。
 講座のなかで受講者からアンケート(意識調査)をとった。地域学會では2016年秋、会員による総合調査の一環として『いわきの地誌』の発刊を予定している。そのなかに意識調査の結果を盛り込みたいということで、編集担当の大谷さんが調査を進めている。

 これまでの意識調査から浮き彫りになったことのひとつ――いわきは車がないと生活しにくい地域である。その車に関して、運転マナーの低さを指摘する転入者が多かったそうだ。たとえば、ウインカーは交差点を右左折する直前、ひどいのは曲がってから作動させる。私も含めて受講者は日々、同じことを目撃している。

 東日本大震災が起きる前の2011年1月5日付小欄で同趣旨のことを書いた。それを再掲する。
 
 ――先日、若い人間と酒を飲んだとき、「いわきは車の運転の荒さでは有名」という話になった。とっさに、40年前の“駆け出し記者”のころの話を思い出した。
 
 同年代の「同業他社」氏が福島からいわきにやって来た。仲良くなって、あれこれしゃべるうちに、「いわきの人間は、車の運転がおっかない。だから、青信号になってもすぐには発進しないようにしている」と言った。赤信号でも突っ込んでくる車がある、ということだろう。

 彼は転勤を重ねて、やがて同じ浜通りの北部で仕事をするようになった。ある日、わが家にやって来た。「いわきは車が多い。めまいするくらいだ」。<浜通りの北部はいわきより人口が少ない。車も少ない。いわきよりゆったりしているから、車の流れになじまないのだろう>と思った。

 そうではなかったのだ。単に、人口を反映した車の量の違いではなくて、いわき人の荒い運転の本質が神経を刺激していたのだ。

 若い人の話はこうだ。「『なにわ』と『いわき』の平仮名ナンバーは警戒される。運転が荒いから」。「なぜ、いわきの車は運転が荒いのか? ヤマ(炭鉱)とハマ(漁業)があったから」。別の「同業他社」の先輩が指摘していたのと同じ理由を述べる。

 とっくに人間は一世代、交代した。社会的なルール・マナーはその間に学習しただろうが、相変わらず車の運転は荒い。

「荒れた運転」はしかし、そこに暮らす人間にはわからない。それが当たり前だから。他地区の人の運転との違いを科学的に示すようなデータはないものか。――
 
 合図の遅い右左折、信号軽視だけではない。突然の割り込み、車線変更も目立つ。そう書いている私自身も「朱に交われば赤くなる」ところがないではない。信号が青になると、誰よりも早く発進したくなる。どうでもいいことに負けん気がはたらいたり、正義感が作用したりする。
 
 車の流れを阻害するような走りをしている車を追い越したら、覆面パトカーだった、ということもある。状況に応じて運転するのが基本だとしても、いわきの場合は状況に動じない運転も大事になる。怒らず、競わず、いらつかず――とりあえず、この三つを唱えて運転することだと、自分に言い聞かせているこのごろ。

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