半年に一度は通る山里で、市役所がらみの会議があった。そこは中心市街地から二十数キロ離れたいわき市の三和町下永井地区。カミサンの同級生の実家がある。敷地内に同級生の叔母さんの家もある。ともに売り家だ。叔母さんの家の囲いに、前はなかった「売家」の看板が見える=写真。
知人は首都圏に住む。うしろの山と畑付きで売りに出した。引き合いはあった。足を運ぶ人もいた。建物や自然環境は申し分ない。が、いまだに買い手はない。
売ると決めた時点で家財のダンシャリが行われた。カミサンに声がかかった。個人の家や医療福祉施設にあると役立つものがある。リサイクルのために、知り合いに声をかけて何度か通った。わが家では洗濯機その他をもらい受けた。
いわきはハマ・マチ・ヤマに分けられる。私は阿武隈高地の田村郡常葉町(現田村市常葉町)で生まれ育ち、いわきの平地で暮らしている。水源(ヤマ)で産湯を使い、下流(マチ)で子育てをした、というところだろうか。今は週末、その中間地帯、永井とは山をはさんで向かい合う夏井川渓谷の小集落で過ごす。
夏井川流域でも上・中・下流で違いがある。隠居のある谷間の集落は、広域都市いわきを考えるうえでの、私の基本的なフィールドだ。
中心(マチ)から周縁(ヤマ・ハマ)は見えない。見えるのは、周縁が中心に影響を及ぼすとき、たとえば凶作や水害、不漁のときだけだ。東日本大震災のときがそうだった。今はまた、マチの人の意識からハマもヤマも遠ざかっているにちがいない。
いわきの山間部、川前が合併前の「川前村」のままだったら、「三和村」のままだったら、「田人村」のままだったら――過疎化・高齢化対策に躍起になっているはずだ。隠居のある夏井川渓谷の小集落でも、子どもの姿が消えた。空き家が見られる。
会議の前に、会場の元永井中学校周辺を車で巡ると、人の気配のない家があった。3・11で屋根のグシが壊れ、それを覆っていたシートがちぎれ、さらに割れた瓦がそのまま残っているのは、空き家の証拠だ。毛細血管の末端のような周縁では、まだ震災の始末がついていない家がある。
ヤマへ出かけた翌日、つまりきのう(10月24日)の夕方、いわき駅前にあるラトブの総合図書館へ行くと、異常に駐車場が混雑していた。駐車スペースは空いているのに、出入りする車が数珠つなぎだった。
急きょ、車の誘導に当たった警備員に聞くと、「(ラトブ)開業8周年なんです」という。ラトブは平成19(2007)年10月25日に開業した。つまり、きょう。ということは、個人的なことだが、前日の10月24日は、私の「退職8周年」の日だ。そういう人間の目から見た周縁の静けさと中心のにぎやかさだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿