9月末のことだった。いわき駅前のラトブへ行ったら、屋上から垂らしたロープに支えられて作業員が窓ふきをしていた=写真。
風はなかったが、ふく窓の位置を変えるたびに体が左右に振れる。“空中遊泳”を歩道から見上げているうちに、超高層ビル建設現場でアルバイトをしていた若いころのことを思い出した。
昭和43(1968)年、日本初の36階建て超高層ビル「霞ケ関ビル」(地上高147メートル)が完成した。その3年後、47階建ての「京王プラザホテル」本館(同178メートル)が開業する。そのどちらでも建設中にバイトをした。
当時、若者の手っ取り早いバイトのひとつが「土方」だった。肉体労働だ。でも、超高層ビルの建設現場では、タワークレーンが鉄骨を吊り上げ、次々に階数を増していく。何の技術も持たない若者の仕事は、主にコンクリートのガラや残材の片付けなどだ。私は途中から、現場監督や作業員が昇降するための仮設エレベーターの運転を担当した。
霞ヶ関ビルでは、建物が完成したあともしばらく本設エレベーターのボタン押しをした。エレベーターボーイだ。
超高層ビルの窓ふきはさすがにロープを垂らして、というわけにはいかない。屋上に窓ふき用のゴンドラとそれを移動させるためのレールが設置されていた。屋上から専門職の乗ったゴンドラが窓に密着するように降りてくる。見ているだけでも胃がキュッとなった。
若いときのバイトの名残か、エレベーターに乗るとすぐボタンの前に立つ。気分はエレベーターボーイだ。ラトブの場合は利用階のボタンがエレベーターの側面にも付いている。混んでいるときは「○階、お願いします」と頼まれる。客の乗り降りが多いと開ボタンを押し続け、様子を見て閉ボタンを押す。
それでも動き出す瞬間、決まって「重力」を意識する。ビルの窓ふきを見てもそうだ。自分であれ、他人であれ空中に浮遊していることがなんとなく落ち着かない。絶えずそうなのは高所恐怖症だからか。
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