東日本大震災から4年7カ月の10月11日。盛岡市の岩手県立美術館へ「松田松雄展」を見に行った。その帰り、東北新幹線盛岡駅で駅弁と同日付の岩手日報=写真=を買った。
昼食は美術館のレストランでとった。松田松雄は陸前高田市の出身。岩手の海の幸と山の幸を組み合わせた「松田松雄展スペシャルメニュー」もあったが、残しそうなので普通のランチにした。
駅の待合室で岩手日報に目を通した。おや、原発事故関連の記事がない――。帰宅してから同じ日の福島民報を開き、「原発事故」とそれに伴う「避難指示解除準備区域」「風評被害」といった語句が含まれている記事を数えてみた。
一般記事、連日掲載の「ふくしまは負けない 明日へ」1ページ、特集「3・11から4年7カ月」1ページ、ほかに放射線量データ・記事、投書・読者文芸(短歌)なども加えると、記事数は30本前後になる。一般記事の場合はあらかた「東日本大震災と東京電力福島第一原発事故」と連記される。
これに対して、岩手日報は2本。1面コラム「風土計」が、南相馬市から「原発事故」で故郷の一関市へUターンした人を取り上げ、オピニオン欄で宗教者が「原発ごみ」の処分場と北上高地の関係について注意を喚起する文章を寄稿していた。3・11関係の記事には「東日本大震災」とあるだけだった。
地域のメディアは地域とは「運命共同体」の関係にある。メディアは当然、地域の課題と向き合わざるを得ない。県紙レベルでいえば、沖縄は米軍基地、長崎・広島は原爆、熊本は水俣病、福島は原発事故。福島と岩手のメディアを比較すると、岩手では放射性物質は日常の思考の外側にあるようだ。その証拠に、盛岡駅ビルでは通路で野生キノコが販売されていた。
福島県では会津地方の一部をのぞき、野生キノコは出荷が制限されている(いわき市などは摂取も)。1分間ほど野生キノコの前に立っていたが、ナマはかさばるので断念し、代わりに水煮のキノコを一袋買った。なぜだか悔しい思いがこみ上げてきた。
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