きのう(10月27日)は満月だった。宵の6時、近所へ出かけると東の空に月が輝いていた。夜8時前、ハクチョウが鳴きながらわが家の上空を飛んで行った。そのあと、BSプレミアムで「宇宙兄弟」を見た。きょうの話と関係ないが、とりあえず月に引きつけられた夜だった、ということを――。
朝日新聞の<プロメテウスの罠>は、「百姓飛行士」(阿武隈高地と元宇宙飛行士の話)から「僕たちの廃炉」(福島高専の学生とロボットの話)に変わった。阿武隈はわがふるさと、シイタケ原木の一大生産地だが、原発事故後はシイタケも原木も売れなくなった。福島高専(旧平高専)は、中退したもののわが母校だ。入学と同時に入寮した。同じ寮で暮らしている専攻科の学生が登場する。
つい先日、カミサンが裏にある義弟の家の物置の中身をダンシャリした。ほぼ半世紀前の“遺物”が出てきた。「平高専磐陽寮」の寮誌「くずかご」=写真(茶色い部分は日焼け)、10~20代の日記、その他。見た瞬間に冷や汗が出た。
「くずかご」は昭和41(1966)年5月発行の3号をはじめ、4・6・8号のほか4冊。3・4号は1年先輩が編集局長、6・8号は私(3年生・18歳)、あとは後輩が責任者になっていた。女子の文章も載っている。男子寮のほかに、女子寮が独立した管理棟にあった。
大学受験とは無縁の5年制、既存の制度でいえば高校・短大を合わせた工業系のカレッジ(現在はプラス2年の専攻科も)だ。昭和37年に創設されて5年目、まだ卒業生は出ていない。わら半紙にガリ切り――というのが、いかにも時代を感じさせる。それ以上に感じ入ったのは、隔月で「くずかご」を出していたことだ。その情熱はどこからきたのだろう。
50年後にどんな人間になり、どんな暮らしをしているか――なんてことはもちろんわからない。しかし、50年たった今は逆に、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の気分で振り返ることができる。ただし、50年前にタイムスリップして、「もっと我慢して勉強する私」になってもなぁ……。
「くずかご」の寄稿者を見ると、今は大学教授、ある市の元市議会議長、大手子会社の元社長などがいる。同じ釜の飯を食った先輩には弁理士、高校教諭、医師、弁護士も。議論好きの人間が多かったから、書くことも苦にならない、自分たちの雑誌を出そう、となったにちがいない。福島県内をはじめ、県外から学生がやって来た。出身地を紹介する欄があったのはそのため。
東日本大震災では、原発事故の影響で卒業式が中止され、入学式が延期された。学校ごと県外へ避難する案も議論されたという。きょうの<プロメテウスの罠>。「学校の調査では、全学生の1割に当たる約120人の自宅が警戒区域や計画避難区域とされ、津波や地震で自宅を失った学生も34人いた」(寮があってよかったと、元寮生はこのくだりを読みながら思った)
それから5年目。ロボコンで培った技術が廃炉作用に欠かせなくなった。「いちえふ」に最も近い高専としての重要性が増している。
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