桜の季節に飛ぶから「桜蛍(さくらほたる)。「蛍は/深く重機の入った場所を探すように/ゆっくりと/海岸線を飛んでいるのだ」という。「復興が進んで/瓦礫(がれき)となっていた津波の跡は消えたが/海に残った悼みが/戻る家の目印までも消してしまった」。そのうえ「津波で行方不明者になった家が/あった辺り」の土中からも、蛍の羽ばたく音が聞こえる――。
現実に「桜蛍」というホタルがいるわけではない。が、津波で亡くなった人、行方不明のままの人の魂が帰る場所を失った。「桜蛍」はその表象だろう。海岸堤防がかさ上げされ、そばに砂丘のような防災緑地が建設されている。消えた集落の背後にあった小山は削られ、住宅地になる。ふるさとは生きている人間にさえ「見知らぬ土地」のように変貌した。
木村孝夫さん=平=から詩集『桜蛍』(コールサック社、2015年)の恵贈にあずかった。詩集のタイトルと同じ作品を読んで、以上のようなことをまず思った。
木村さんとは、シャプラニール=市民による海外協力の会が運営する交流スペース「ぶらっと」で知り合った。2013年には詩集『ふくしまという名の舟にのって』(竹林館)を出し、翌2014年には福島県文学賞詩の部で正賞を受賞した。『桜蛍』は『ふくしまという名の舟にのって』と「兄弟詩集」だという。
前詩集のあとがきにこうある。「奉仕活動を通して傾聴した被災者の方々の気持ちや、毎日のようにニュースになっている原発事故の収束状況などを下地として、作品を書き上げている。今も原発周辺はそのままだ。汚染水問題もあって刻々と状況が変化している。作品はその状況の変化を、心の状況と照らし合わせながら書いている」
それから2年がたった。「この詩集は、できるだけ避難者の内面的なものを描くという目的を持って書いています。どこまで避難者に寄り添い、その思いに触れ、描き切れたのかは分かりませんが、書きながら、何回も被災場所に行ったり来たりしながら、また奉仕活動を通して多くの避難者の声を聴きました」(『桜蛍』あとがき)
追い求めるテーマは重い。が、木村さんは重いままには書かない。利休百首に「点前には強みばかりを思ふなよ強きは弱く軽く重かれ」がある。現役のころ、コラムもそうありたいと思ってきた。重いものは軽く、軽いものは重く――そういう詩があってもいい。
たとえば、辻征夫(1939~2000年)の「婚約」という短詩。「鼻と鼻が/こんなに近くにあって/(こうなるともう/しあわせなんてものじゃないんだなあ)/きみの吐く息をわたしが吸い/私の吐く息をきみが/吸っていたら/わたしたち/とおからず/死んでしまうのじゃないだろうか/さわやかな五月の/窓辺で/酸素欠乏症で」
木村さんの詩にも似た<軽み>がある。たとえば、「背負う」。砂浜に来ると誰かを背負っているような感覚になる。少年の自分かもしれない。「寂しくなったら/ここに来てよ/またおぶってやるからね」。でも「叔父さんの背中は丸いから/夕陽がよく/すべり落ちるんだよ」。こういう比喩が好きだ。
「横になると牛になる」も、悲しいユーモアに包まれている。原発事故がもたらした事象のひとつに「野生化した牛」がある。それをテレビが伝える。
「テレビのこちら側では/食べてすぐ横になろうとするのを/我慢している/肥えて出荷できない/もう一匹の牛がいるのだ」「食べてすぐ横になると牛になる/その話をしたら/仮設住宅の人が笑っていた//そうなったら仮設住宅の中は/牛だらけだと」。ニュースにはならない、いや報じきれない避難者の内面が透けて見える。詩の力だ。
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