2016年10月24日月曜日

いわきの現代美術シンポ

「いわきの現代美術の系譜」と題するシンポジウムがきのう(10月23日)午後、平・大町のアートスペースエリコーナで開かれた。6人の登壇者の1人として参加した。
 1部では、私と書家田辺碩声さん、佐々木吉晴いわき市立美術館長の3人が順に登壇した。2部では、さらに写真家上遠野良夫、画家峰丘さんが加わり、美術家吉田重信さんを司会に6人で座談を繰り広げた=写真。

 シンポジウムは、「いわきまちなかアートフェスティバル玄玄天」の一環として行われた。NPOのワンダーグラウンドが主催した。吉田さんは玄玄天のアートディレクターを務めている。彼から連絡がきてシンポジウムに加わった。

 テーマは、市立美術館の建設へとつながった市民団体「いわき市民ギャラリー」の活動と、その推進力になった画家松田松雄の人と作品を振り返り、いわき現代美術黎明期の熱を次世代に伝えていく――というものだった。
 
 私は「市民ギャラリー・前史」を念頭に、同ギャラリーを生み出す母体となった「草野美術ホール」と経営者の故草野健さん(通称「おっちゃん」)について話した。
 
 おっちゃんは昭和44(1969)年、こんにゃく屋を廃業して貸しビル業に転身し、3階に大きな展示場を設けた(最初は「渡辺ホール」、1年後に「草野美術ホール」と改称)。いつかは美術館を、という夢の実現に向けて、画家たちに安く、ときには出世払いで発表の場を提供した。やがて、立て続けに個展・グループ展が開かれるようになった。
 
 それだけではない、おっちゃんは人と人とをつなぐネットワーカーでもあった。新米記者だった私はそこで阿部幸洋(現在はスペイン在住の画家)と松田さんに会い、田辺さんを引き合わされ、メキシコ帰りの峰さんを知った。「生涯の友」といえる人間とは、学生時代を除けば、この草野美術ホールで出会った。みんな若かった。
 
 そうやって横のつながりが広がり、縦の結びつきも強固になって、「市民ギャラリー」が誕生した。ヘンリー・ムーアやロダンなどの一流の展覧会を誘致し、成功させる。それが行政を動かして、現代美術を主に収集するユニークな美術館の開館につながった。
 
 とまあ、45年余前の草野美術ホール開設かから今に至るいわきの現代美術の歴史を概観し、そのエンジン役だった松田松雄について語る、楽しい3時間だった。「黎明期の熱を次世代に伝える」というときの「次世代」とはつまり、今、ワンダーグラウンドその他で汗を流している若者たちのことだろう。シンポジウムの終わりに、玄玄天の主会場である「もりたか屋」を「第二の草野美術ホールに」とあおってみた。

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