「いわきの現代美術の系譜」と題するシンポジウムがきのう(10月23日)午後、平・大町のアートスペースエリコーナで開かれた。6人の登壇者の1人として参加した。
1部では、私と書家田辺碩声さん、佐々木吉晴いわき市立美術館長の3人が順に登壇した。2部では、さらに写真家上遠野良夫、画家峰丘さんが加わり、美術家吉田重信さんを司会に6人で座談を繰り広げた=写真。
シンポジウムは、「いわきまちなかアートフェスティバル玄玄天」の一環として行われた。NPOのワンダーグラウンドが主催した。吉田さんは玄玄天のアートディレクターを務めている。彼から連絡がきてシンポジウムに加わった。
テーマは、市立美術館の建設へとつながった市民団体「いわき市民ギャラリー」の活動と、その推進力になった画家松田松雄の人と作品を振り返り、いわき現代美術黎明期の熱を次世代に伝えていく――というものだった。
私は「市民ギャラリー・前史」を念頭に、同ギャラリーを生み出す母体となった「草野美術ホール」と経営者の故草野健さん(通称「おっちゃん」)について話した。
おっちゃんは昭和44(1969)年、こんにゃく屋を廃業して貸しビル業に転身し、3階に大きな展示場を設けた(最初は「渡辺ホール」、1年後に「草野美術ホール」と改称)。いつかは美術館を、という夢の実現に向けて、画家たちに安く、ときには出世払いで発表の場を提供した。やがて、立て続けに個展・グループ展が開かれるようになった。
それだけではない、おっちゃんは人と人とをつなぐネットワーカーでもあった。新米記者だった私はそこで阿部幸洋(現在はスペイン在住の画家)と松田さんに会い、田辺さんを引き合わされ、メキシコ帰りの峰さんを知った。「生涯の友」といえる人間とは、学生時代を除けば、この草野美術ホールで出会った。みんな若かった。
そうやって横のつながりが広がり、縦の結びつきも強固になって、「市民ギャラリー」が誕生した。ヘンリー・ムーアやロダンなどの一流の展覧会を誘致し、成功させる。それが行政を動かして、現代美術を主に収集するユニークな美術館の開館につながった。
0 件のコメント:
コメントを投稿