顔を見せると、隠居にいれば必ず声がかかった。「お茶飲んでがせ」。私のことをどこまで知っていたかはわからない。でも、自分のせがれのところへ来た“若い人”だから歓迎する。それが「お茶飲んでがせ」になったのだと、勝手に思っている。
夏井川渓谷の小集落、牛小川。戸数は10戸ほどだが、週末だけの半住民である私と、家はあるもののマチで暮らす1人を除いて、住んでいるのは8世帯、十数人だ。最長老は「お茶飲んでがせ」のおばあさん。そのおばあさんが亡くなった。満90歳だった。
21年前、高齢の義父に代わって牛小川にある隠居の管理人になった。当時の区長さんのはからいで、ふだん暮らしている地域の隣組とは別に、山里の隣組にも加わった。集落の人々と無縁の“別荘感覚”では自然を眺めるだけだが、隣組に入ったおかげで山里暮らしの面白さを知った。哲学者内山節さんの『自然と人間の哲学』(岩波書店、1988年)の世界を生きているような感覚があった。
最初、「冠婚葬祭だけは遠慮します」といっていたのが、交流を深めるうちに、いつか葬式に顔を出し合う関係になった。で、おばあさんが亡くなったときも、牛小川の区長さんから「知らせ」が入った。
藩政時代、シイタケ栽培法を伝授するため、先進地の伊豆半島から専門家である村人がやって来た。伊豆へ帰らずに土着した一人が、その家の先祖だった。
きのう(10月24日)、通夜に出かけた。きょう、葬儀にも「生花」を受け取って墓に供える役割があったが、告別式と同時刻に用事があり、代役を集落の仲間に頼んだ。
人は、それぞれが“生きた図書館”だ、人が亡くなるということはその図書館が消えることだ、と私は思っている。
聴きたいことがいっぱいあった。つい最近は、若い仲間が磐城地方のシイタケ栽培の歴史を調べていて、牛小川のその家を訪ねたい、というので、連絡を取ろうとしていたのだが、日曜日はいつも留守だった。
おばあさんの顔写真も撮っていなかった。谷間の小集落で風雪に耐えながらも子育てを終え、土を相手に生き抜いた一人の人間を、「紙のいしぶみ」に残すためにも、通夜式を終えたあと、喪主に断って遺影を撮り=写真、「牛小川無常講」と墨書された提灯を写真に収めた。
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