きのう(10月29日)の朝、座卓のそばに置いてある「防災ラジオ」が自動的にオンになり、「照明」と書かれたそばの小さな四角の窓(ランプ)が白く明るくなった=写真。時計を見ると、ちょうど8時だった。
なにごと? たまたまそばにいた。夫婦でかたずをのんでいると、女性の声で「これは訓練放送です」。そのあとは、四倉と川前2地区の原子力防災実動訓練について、実際の事故を想定した指示がなされた。
いわき市のホームページで確かめると、こんな内容だった。「午前8時、福島第二原発の事故が悪化し、本市まで放射性物質が飛散する可能性があることから、国から四倉地区および川前地区全域に『屋内退避指示』が発令されました。四倉地区および川前地区の訓練に参加される皆様は、不要な被ばくを防ぐため、住宅などの建物の中に避難してください」
いわきの場合、まずは屋内退避を――。これが1Fの事故の教訓だ。東北地方太平洋沖地震で、わが神谷(かべや)からおよそ40キロ北の大熊・双葉町にまたがる1Fが全電源を喪失して事故をおこした。同じくざっと30キロ圏内の楢葉・富岡町にまたがる2Fもメルトダウン寸前だったが、奇跡的に復旧した。
「防災ラジオ」は市から各行政区に配られた。わが区では、自主防災会長(区長が兼務)のわが家に置いてある。万一の場合、防災ラジオからも情報を得て、区長~役員~班長という流れで地区民に情報を伝えるようになるが、その連絡網は未整備だ。師走までには確立しないといけない。
平成24(2012)年11月、福島県地域防災計画でいわき市が「UPZ(緊急時防護措置を準備する地域)」(原発からおおむね30キロ)に指定された。
それに基づき8月23日、平・神谷地区でも原子力防災訓練(ワークショップ)が開かれた。今回は最初の図上訓練で、「情報伝達」と「避難」の二つをテーマに、いわゆるKJ法で現状を分析した。その結果、「連絡網が未整備」などといった課題が浮き彫りになった。師走には、同じように避難の課題解決のための方策を探る訓練(ワークショップ)が開かれる。
四倉、川前地区は先行して図上訓練をすませ、訓練2年目の今年(2016年)、実動訓練に入った。実は、市から「仮想避難所」の中央台公民館でスクリーニング検査などを見学しては、という誘いがあったが、用事が入っていたので断念した。
1Fが事故をおこしたとき、避難先でスクリーニング検査を受けた。実動訓練を伝える夕刊の記事から思い出したことがある。「原子力災害はいつ自宅に戻れるか分からないので、持ち出し品をもう一度検討してほしい」(市長の講評)。原発事故の恐ろしさがここにある。
あのとき、着替え用の下着しか持ち出せなかった。あとは2冊の本。伊東達也著『原発問題に迫る』(2002年刊)と、寺内大吉著『法然讃歌』(中公新書、2000年刊)だけ。本を熟読して、初めて原発事故の罪深さを知った。
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