東日本大震災で津波と火災に見舞われたいわき市久之浜町の市街は、ほかの沿岸部と同様、重機が入って大改造中だ=写真。海岸堤防はすでにかさ上げされた。そばには防災緑地がもうけられ、背後では土地区画整理事業が進められている。大久川河口の蔭磯橋も、少し上流に高くなって架け替えられる。
橋を渡ってすぐ、殿上(とのがみ)崎へと続く丘の中腹・翠涛荘(立127-1番地)で、10月3日まで「額の中の小さな宇宙」展と題した展覧会が開かれている。川内村の土志工房、志賀敏広・志津さん夫妻が主催した。初日のきのう(9月30日)夕方、夫婦で訪ねた。
「きょうは客が来ない」と思っていたら、やっと来た、私ら夫婦が2人目、3人目だという。広い庭から太平洋と久之浜の町、阿武隈の山並みが一望できる。庭には敏広さんが作った木のテーブル。青空の下で海を眺め、コーヒーをいただきながら、雑談した。
敏広さんは浪江町生まれで、私とは同年齢だ。カミサンが、川内に移り住んだ陶芸家夫妻がいるという話を聞きこんで、父親の命日に田村郡常葉町(現田村市常葉町)の実家へ焼香に行った帰り、立ち寄った。以来、四半世紀、ゆるゆると付き合いが続いている。
2年前の6月にも大学生の娘さんと3人で、同所で陶器展を開いている。娘さんは生まれたと思ったら、すぐ小学生になり、中学生になり、高校から大学へと進んで、両親と同じ世界に入った――夫妻にとってはうれしい「家族3人展」だったにちがいない。
今回の展示会は、自作ももちろん出品しているが、浪江町の人たちとの“共同展”という意味合いが濃い。5月にも大型連休を利用して、川内村で開催した。
浪江町は原発事故による全町避難が今も続く。敏広さんが行き来していた先生や知り合いもばらばらに避難し、今もばらばらのままだ。「この5年間を振り返る旅のような展示会をしたい」。そのために敏広さんはそれぞれの避難先を訪ね回ったという。
作品展示協力者のなかに知り合いが2人いた。1人は川内村の前教育長氏、もう1人は平の飲み屋で一緒だった谷平芳樹さん(そのころ、いわきのアドプラン取締役・いわき短大講師だった)。谷平さんの作品は、敏広さんが受け取った多色刷り版画の年賀状で、敏広さんが地元産の板で額装した。
陶芸家であると同時に、工芸家でもある敏広さんの本領を発揮した展示会だ。お近くの方はぜひ。(続く)
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