きのう(10月1日)の続き――。「額の中の小さな宇宙」展には、川内村に窯をもつ土志工房の志賀敏広・志津さん夫妻の作品と、高校時代の恩師やアート仲間の年賀状・書・写真・その他が展示されている。敏広さんが地元産のがっしりした板材で額をつくった。額を見せる展示会でもある。
それぞれのコーナーにコメントが記されている。一部を紹介する。高校の元美術教師「3・11の津波/海岸線にあった崖っぷちは崩れ/その脇にあった幽玄さを包んだ林は跡形も無い/原発事故/山に放射線はぶつかり麓で計器音がケタタマしい/足繁く通った海も山辺も近寄れない/もう、八十も過ぎた、車で遠乗りムリ/近間の雑木林でネタを見つけるしかない/新芽、雑草、枯葉、野の花」
画人「浪江町生まれ。/高校の頃から陶仏作りと墨彩画を描くことを始めました。/震災の時猪苗代町に避難し、そのまま定住しました。/(略)絵も陶仏も、仕事として描いたり作ったりしているわけではありません。/ただ気ままに楽しんでいます」
写真家(敏広さんのコメントらしい)「震災前の飯舘村の暮らしの写真展を全国各地で開催し、反響を呼んでいる。自身も浪江町で原発事故の被災者となりながらも福島の現状を撮り続けている」
ある日突然、家を、ふるさとを追われ、家族や友人・知人たちとも離れ離れになる。浪江町では2万人超が県内外に避難し、そのまま5年半が過ぎた(受け入れ自治体の一つ、いわき市で暮らす双葉郡からの避難民は2万3000人弱に及ぶ)。
拠って立つコミュニティなしには、人は生きられない。かといって、新たにコミュニティを築くにも、受け入れコミュニティのなかで再出発を図るにも、覚悟とエネルギーがいる。「土志工房の仲間たちのハガキ絵と書とオリジナル額展」は、いったんばらばらになった「土志工房コミュニティ」の再生という意味合いもあるのだろう。12人が協力した。
2人は旧知の人だった。1人は川内村の前教育長石井芳信さん。いわき地域学會が『川内村史』の編集を引き受けたとき、村側の責任者だった。
もう1人は谷平芳樹さん。いわきの広告業界では知られた存在だった。去年(2015年)5月、80歳で亡くなった。今回初めて、浪江町出身だったことを知る。私も谷平さんもあまりはやらないスナックの常連で、たいがい客がいないときに顔を合わせた。すると、ぼそぼそ言葉を交わしながら飲み続ける。そんな関係が何年も続いた。
敏広さんは谷平さんから届く多色刷り版画の年賀状を高く評価している。それだけで「額の中の小さな宇宙」展を開いてもよかったのだが、ともいう。確かに、版画なのに色に深みがあって温かい=写真。奥さんの文章にこうあった。「いわきの風土を愛し、スケッチブックを片手に、のんびりと歩いていた(略)」。熊のように大きく優しい人の姿が思い浮かぶ。
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