2016年10月17日月曜日

後の月

「中秋の名月」の「後の満月」だった。きのう(10月16日)、カミサンが縁側に揚げもちとミカン、花を供えた。揚げもちは、この日行われた神谷公民館まつりの模擬店から買ってきた。ミカンと花(ブルーサルビア、シュウメイギク)は、カミサンが仲良くしている近所のお年寄りからもらった。
 おとといの夕方、いわき地域学會の市民講座からの帰り、ハクチョウが来ているかどうかチェックするために、夏井川の堤防を通った。海の方からまん丸い月が昇りはじめていた=写真。その前日、金曜日の夕方も街からの帰り、同じ場所で月の出を見た。

 今年(2016年)は10月13日が「後の月」の十三夜、しかし満月は16日だ。月の満ち欠けを計算したら十六夜ではなく満月に、すると十四夜は二日続きに?――このへんのところがよくわからない。
 
「『片見月』(『片月見』ともいう)は縁起が悪い、『後の月』にも同じように供え物をすると、ばあさんに教えられた」とカミサンがいう。「後の月」は本来、「次の十三夜」のことだそうだ。それより遅れたが、「片見月」にならないよう、夕べ、供え物をして満月を見た。

 1カ月前の中秋の名月の晩はあいにくの曇りだった。ややたって、夜8時半に外へ出ると、満月がうっすらと中天近くにあった。そのとき、首都圏から電話がかかってきた。拙ブログの一部を再掲する。

「昔、集団登校から遅れて小学校へ行く兄弟がいた。聞けば、朝ご飯を食べていないという。カミサンが大急ぎでおにぎりをつくり、食べさせた。それがしばらく続いた。ほかにもいろいろあった。それから12年後の、当時小2の弟からの電話だった。20歳になった。結婚し、2歳の娘がいる。『おばさん、遅れましたが、ありがとうございました』
 
 後日、拙ブログを読んだカミサンの幼なじみから絵はがきが届いた。絵は、アメリカの絵本作家エドワード・ゴーリー(1925~2000年)の作品、ということをあとで知った。さっそく図書館から絵本を借りてきた。ひとことでいえば、「反絵本」的絵本。苦しい人間はますます苦しみ、悲しい人間はますます悲しみに沈む――そういう救われない世界を描いている。これもまた名月の贈り物だったか。

 今度の「後の月」はどうだろう。地域では絶えず小問題が起きている。それがうまく解決できるようにと、月に吠える代わりに祈った。

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