2016年10月27日木曜日

小名浜代官中井清太夫

 今年(2016年)親鸞賞を受賞した、澤田瞳子の小説『若冲』(文藝春秋、2015年)=写真=を読む。後半、幕府・勘定所の下っ端役人、中井清太夫が重要な役で登場する。
 清太夫は天明8(1788)年から寛政3(1791)年までの3年間、幕領の小名浜代官を務めた。カミサンが移動図書館から借りて読み、「中井清太夫って人が出てくるけど」というので、がぜん、興味がわいた。

 小名浜へ転勤する前は、甲斐国(山梨県)の上飯田や甲府、石和・谷村の代官職にあった。天明の大飢饉対策として、幕府の許可を得て九州から馬鈴薯を取り寄せ、村人に栽培させたという。のちに当地では馬鈴薯を「清太夫芋」(あるいは「清太芋」)と呼ぶようになる。小名浜でも「清太夫芋」の栽培を奨励した。

 世は田沼時代、舞台は京都――。現代の東京では「豊洲市場」問題がテレビの視聴率稼ぎに貢献しているが、京の「錦高倉市場」は“もぐり”ではないかとそしられ、商売敵から役所に営業差し止めの訴えが出されていた。そこへ江戸からやって来た清太夫がからむ。窮地に立たされた若冲(青物問屋)らが清太夫のアドバイスで活路を見いだし、市場が存続する。
 
 作家のインタビュー記事によれば、史実として①清太夫が禁裏(皇居)の財政を預かる「口向役人」(朝廷に仕えた役人)の不正摘発にかかわった②錦市場の騒動を記した伊藤(若冲)家の史料に清太夫の名前が出てくる――ことから、特捜検事のような清太夫像を造形した。しかも、若冲の絵のファン、という設定で。
 
 清太夫の小名浜代官時代はどのくらい解明されているのだろう。『いわき市史』や『新しいいわきの歴史』を読んでも、「清太夫芋」の話が出てくるだけだ。小説では「田沼さまご隠居後は、それがしも相役たち同様、些細な罪咎(つみとが)を問われ、小名浜代官の職を追われましてな」と、後年、若冲の妹に語るくだりがある。作者は、清太夫解職に田沼後の松平定信の「寛政の改革」が影響した、とみているようだ。
 
 今年4~5月、若冲生誕300年を記念して東京都美術館で若冲展が開かれた。待ち時間が最大5時間余と、連日、大変なにぎわいだった。すっかり若冲ブームになった。これまで何度かテレビの特集を見てきたので、美術館行きは最初からあきらめていた。そうしたメディアの余熱のなかで『若冲』を読んだ。
 
 小説の醍醐味はやはり、作者の想像力による「あり得たかもしれない非日常の世界」の構築にある。

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