2017年5月21日日曜日

俳諧選句集『桜川』

 いわき地域学會の今年度(2017年度)の市民講座がきのう(5月20日)、スタートした。夏井芳徳副代表幹事が「内藤義概(よしむね=風虎)が編ませた俳諧選句集『桜川』のうち、『いわき』にゆかりの句」と題して話した=写真。
 義概は磐城平藩内藤家三代目当主。和歌や俳諧をよくした。『桜川』は、その風虎が大阪の俳人松山玖也を磐城に招いて編ませた、全国レベルの選句集。近世初期の延宝2(1674)年に成った。全7000余句、うち磐城(いわき)ゆかりの句は2割ちょっと、という。

 磐城ゆかりかどうかは、主に句の前書きでわかる。「久之浜と云所にて――久の浜の真砂(まさご)の数や御代の春」(風鈴軒)、あるいは「奥州岩城鎌田川にて――若あゆや是もかりとるかまた川」(岡村不卜)。前者は波立海岸を、後者は夏井川を詠んでいる。

 当時の磐城地方の習俗や自然、磐城人の心情などがうかがい知れて面白い。たとえば、「水掛祝」(沼ノ内に伝わる「水祝儀」とイコール)。「うらむともかけてこそみめ水いはひ」(川路繁常)などの一連の句について、夏井副代表幹事は民俗学的な知識と作家的な想像力を駆使して、生きいきと解釈してみせた。

 以下は、資料を読んでの感想――。ウグイスの聞きなしで“発見”したことがある。「うれしなきのこゑや鶯のきちよ吉兆」(釈任口)。ウグイスのさえずりは「ホー、ホケキョ」、これにときどき「ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ……」の<谷渡り>が入る。江戸時代の人間は谷渡りの「ケキョ、ケキョ」を「吉兆(きっちょう)、吉兆」と聞きなしていた。

 もうひとつの“発見”は「みちのく天狗のかさね石と云所にて――鼻赤し天狗のかさね石の竹」(座頭拙志)。夏井川渓谷の一部、中川渓谷に奇岩「天狗の重ね石」がある。明治の碩学、大須賀イン(竹かんむりに均)軒は「磐城郡村誌十」(下小川・上小川村・附本新田誌)に「天狗ノ重石ト唱フルアリ、石ノ高四丈(以下略)」と記している。この奇岩のことだとしたら、すでに江戸時代も初期のうちから知られていたことになる。
 
 石竹(せきちく)は夏の季語で、中国原産の「唐撫子(からなでしこ)」のことだそうだ。天狗の「赤い鼻」に石竹の「赤い花」を、「かさね石」に「石の竹」を掛けている。親父ギャグの世界といってもいい。
 
 石竹の仲間に「大和撫子(やまとなでしこ)」、つまりカワラナデシコがある。こちらは秋の季語で、単に「撫子」とあればこの花のことを指すようだ。「天狗の重ね石」に石竹が咲いていた(いる)かどうかはわからないが、その奇岩の近くの草原でカワラナデシコを見たことはある。

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