ゴールデンウイーク最終日のきのう(5月7日)は朝、上の孫(小4)を連れて夏井川渓谷の隠居へ出かけた。ポンプを交換したら井戸水が復活した。庭で“水路遊び”ができるよ――。カミサンが自由に使える水を“誘い水”にした。
孫たちの“水路遊び”は年を重ねるごとにスケールが大きくなる。使う道具も移植ベラから草引き道具、スコップへと広がった。まだ井戸水が使えなかった4月下旬にも、スコップで水路を“修復”し、近くの小流れからバケツに水を汲んで流して遊んだ。
私は、4日に風邪の自覚症状が現れ、5、6日と薬を飲んで寝ていた。7日にはのどや頭の痛みが消えた。で、カミサンが約束したからと、息子の家へ向かい、上の孫を連れだした。
下の孫は左手を骨折してギプスをはめている。“水路遊び”をさせるわけにはいかない。私も“水路遊び”はできない。隠居の台所で用をすませたあと、カミサンが遊びに加わった。それを見守りながら、遠い昔のことを思い出していた。
川は天然の「流れるプール」。夏休みになると、子どもたちは毎日、川で水浴びをした。左岸は断崖、右岸は浅瀬で、“おじゃまむし”の幼児たちは右岸の砂場で遊んでいるしかない。そこに、自分だけのスペースを確保して道路をつくり、疾走する運転手になりきってミニカーを動かしていたことを覚えている。
母方の祖母の家が山の中にあった。飲料水や風呂水は、家から少し離れたところにある池から桶でくんだ。V字形の木の樋から水がとぎれることなく池に注いでいた。あふれた池の水はそばの雑木群の間を縫って田んぼに流れ落ちる。その小流れで笹船を流して遊んだ。
小さな砂場が大荒野に、小流れが大河に変わる――。子どもの想像力は、昔も今も変わらない。「なりきる」ことで楽しむのだ。
孫は水路をどんどん広げていった。昼食を終えると、またすぐスコップを持つ。島や新しい水路をつくったり、石のダムを決壊させたり、せき止めたり。ほとんど休むことなく動き回っている。私だったらすでに筋肉痛になっている。「疲れないか」と聞いても「疲れない」という。こうして「シダレ川」ができ、「サクラの湖」ができた=写真。そばにシダレザクラがある。それからの命名だという。
息子と下の孫が迎えにやって来たのは午後3時前。下の孫も右手に移植ベラを持って水路遊びに加わった。上の孫はこの間、ダム建設者になり、河川管理者になり、湖や滝をつくる神のような存在になりきっていた。朝はぎこちなかったスコップの使い方が、午後にはサマになっていた。そのことをほめると、ニコッとした。
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