きのう(5月22日)も暑かった。午後1時半ごろ、いわき駅前を通ったら、デジタル表示盤が「31度」を示していた。ギャラリー界隈の阿部幸洋新作絵画展が最終日を迎えた。カミサンは今回、まだ阿部と会っていない。作品を見に行くついでに、駅前に寄り道をした。気温を確かめるのが目的だった。
阿部はいわき出身で、スペインに住んでいる。亡くなった奥さんが、小さいころからかわいがっていた青年がいる。奥さんが急死した5カ月後、阿部と一緒に日本へ、いわきへやって来た。
ラザロという。頭脳明晰な青年だ。英語はディズニーのアニメ映画で学んだ。日本語も滞日中、日ごとに語彙を増やした。今は34歳だろうか。コンピューターを駆使したアート(漫画もかく)のほか、「3D」の建築デザインなどを手掛けている。
弟がいる。28歳、大学生。夏休みに1カ月ほど日本で勉強したいのだとか。ついてはと、ラザロが言ったそうだ。わが家にホームステイできないものか。ラザロの弟であれば阿部の“身内”も同然だ。断るわけにはいかない。阿部がスペインへ戻ったあと、ラザロから(フェイスブックで)連絡させる、ということになった。
それとは別に、きのう、元職場の若い仲間から電話が入った。フェイスブックのメッセージで連絡した。それを私が見落としていた。「いわきのことを知りたい人がいる。午後3時か4時ごろ、話を聞きにつれて行ってもいいか」
その人とは、ノンフィクション作家の川内有緒(ありお)さんだった。会ったことはないが、シャプラニール=市民による海外協力の会のスタッフやシニアアドバイザーと交友があるので知っていた。
「バウル」と呼ばれるバングラデシュの吟遊詩人を追った『バウルを探して――地球の片隅に伝わる秘密の歌』(幻冬舎、2013年=第33回新田次郎文学賞受賞)という著書がある。私は詩人、なかでも吟遊詩人に興味があるので、この本は読んでいた。旧知のシャプラの創立メンバーからバウルについていろいろ教わったことが書いてある。
カミサンも、国連職員時代の体験をつづった『パリの国連で夢を食う』(イースト・プレス、2014年)を読んでいた。シャプラは震災後、いわきに交流スペース「ぶらっと」を開設・運営した。東京からやって来たスタッフから、川内さんのことを聞いていたそうだ。
昔の職場の仲間と川内さん(写真右=掲載については2人の了承ずみ)には共通項がある。「万本桜」だ。それはそれとして、川内さんは、母親がいわき市の遠野町上遠野出身だという。いわきのことを本にしたい、ついては自分のルーツであるいわきの郷土史を知りたい、というからには、協力しないわけにはいかない。なにしろ「シャプラつながり」なのだ。
若い仲間は驚いていたが、私には、いつか会うのではないか、という予感があった。これも震災がもたらした出会いのひとつだろう。
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