その時期がくると体が反応する。いわきの夏井川渓谷では、ゴールデンウイークが始まるころ、コゴミ(クサソテツ)とワラビが採れる。20年余り、渓谷の隠居へ通って身についた経験則だ。「○月○日ごろに○○を採った」。キノコや木の実も含めて、発生時期の記憶がほぼ正確によみがえる。
日曜日(4月30日)、隠居の近くにある小流れに行くと――。1週間前には影も形もなかったコゴミが葉を伸ばしていた。いくつかは、赤ちゃんのにぎりこぶしのようなうちに摘まれたらしく、葉の先端が欠けていた=写真。
コゴミもワラビも一斉に芽生えるわけではない。時間差がある。“落穂ひろい”の要領で、あとから芽生えたコゴミを10個ほど摘む。カミサンと私、義弟の3人なので、口に入るのは1人3個ほど、十数グラム? 夜、湯がいてマヨネーズをつけて食べた。山が笑うころに芽生える春の最初の土の味だ。
隠居の庭の下の空き地にフキが自生している。早いときには師走のうちにフキノトウを摘む。今は薹(とう)が立って小さなうちわほどの葉を広げている。カミサンが茎を摘んだ。これも夜、油炒めになって食卓に出た。やわらかかった。
日曜日の夜のメーンディッシュはカツオの刺し身。合間にコゴミとフキ――と書きつつ、食べる幸せにひたる“後ろめたさ”がないわけでもない。食は「目的」だろうか。食は生きるため、とりわけ子どもたちにとっては成長のエネルギー源、つまりは「手段」ではないのか。でも、やはり一口、二口とはいえ季節の味には素直に舌が喜ぶ。
この連休はワラビ狙いの車が山里に向かうことだろう。今はどうかわからないが、前に入山禁止の立て札を見たことがある。土地の所有者の怒りを買わないように、と願う。
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