なぜ夏風邪を引いたのだろう。思い当たるのは、近所の診療所へ薬をもらいに行ったときだ。待合室のいすに座ると、一人おいた隣で子どもがゴホゴホやりはじめた。
それから2日後、のどの奥が腫れて痛くなった。翌日にはせきと鼻水が出た。後頭部も輪っかで締められたようだ。きのう(5月5日)は朝食後、いつもの薬のほかに、風邪薬を飲んで寝た。風邪を引いたら寝て汗をかく――それが一番、と思っている。でも、けさもときどきせきと痰が出る。頭が重い。汗はかかなかった。
“読む睡眠薬”は、今、梯(かけはし)久美子さんの『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社、2016年)。読みながら眠り、目が覚めたら読み、また眠る。その繰り返しだ。
若いときと違って、熟睡する体力がなくなっている。連休だから一晩くらいベロベロになるまで飲んでやれと飲み始めたが、持久力がない。いつもの量(2合程度)になると眠くなった。
きのうも、夕方前に寝疲れて起きた。意地でも読み終えようと、座卓(こたつ)のへりに本を立ててパラパラやり続ける。作家である夫・島尾敏雄が日記に記した愛人との情事に関する「十七文字」を読んで妻のミホが狂う。しかし、梯さん自身が「ミホを狂わせた十七文字の内容を知ること」はできなかった。十七文字の中身は最後まで明かされない。
「島尾の留守中に掃除をするために仕事部屋へ入ると、開いたままの日記が机の上に置かれていました」。それが始まりだ。夫婦の葛藤をテーマにした長編私小説『死の棘』がその後、書き続けられる。すさまじい作家の業(ごう)である。
梯さんは2年前(2015年)、いわき市立草野心平記念文学館で開かれた吉野せい賞表彰式の席上、「女流作家の愛と苦しみ~女がものを書くということは」と題して記念講演をした。原民喜や八木重吉と草野心平がかかわりを持っていたことなどを紹介しながら、前半は「乳房喪失」で知られる北海道出身の歌人中城ふみ子(1922~54年)を、後半はいわきの吉野せい(1899~1977年)を論じた。
梯さんは2015年、日経の日曜版に「愛の顛末」を連載する。最初にせいを取り上げた。好間の菊竹山を訪ね、せいの原稿などを実見している。それとは別に、生前のミホに長時間インタビューをし、島尾家に残る膨大な資料を読み解く作業を続けた。
せいの『洟をたらした神』とミホの『海辺の生と死』は昭和50(1975)年、第15回田村俊子賞を同時に受賞する。奇縁というほかない。今度はせいの評伝をぜひ――という思いに駆られる。
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