ときどき塩屋埼灯台下の道路を通る。灯台の南は豊間、北は薄磯。平成23(2011)年3月11日の東北地方太平洋沖地震では大津波が襲来し、両集落とも壊滅的な被害を受けた。
あれから6年3カ月。いわきの沿岸部では海岸堤防がかさ上げされ、防災緑地の建設が進められている。やや内陸部には災害公営住宅が建設された。薄磯、豊間の高台では宅地造成が進む。行くたびに風景が変わっている。道路も行き止まりになったり、新しくできたり……。
子どものころ、小名浜の叔父宅へ行くのに、平駅(現いわき駅)前から海岸回りのバスを利用したことがある。沼ノ内・薄磯・豊間の集落では、家をかすめるようにしてバスが進んで行ったのを覚えている。平から小名浜へ行くバスは、今は鹿島街道がメーンだが、昔は湯本経由が主だった。ハマを巡るバスに乗ったのはたまたまか。
内陸側に県道小名浜四倉線ができてからは、海岸そばの道路は灯台と海を見に行くときくらいしか利用しなくなった。バスは今も昔と同じ“旧道”を通る。薄磯・豊間を回る今の路線は、なぜか小名浜を通り越して泉駅前まで行く。
先日、豊間と薄磯からひと山越えた内陸部の県道小名浜四倉線に直結する新道(市道南作青井線)が開通したというので、鹿島の本屋へ行った帰りに海寄りの道を利用し、ついでに新道を通った=写真。海側はいわき中央署豊間駐在所付近で“旧道”に、内陸側は塩屋崎カントリークラブ付近で県道に接続する。延長ざっと720メートルの復興道路(避難路)で、豊間小・中ともつながる。
新道開通を告げる新聞記事によれば、震災時、豊間も薄磯も道路が通行不能になり、避難所の豊間小や高台の神社では多くの住民が孤立した。負傷者の搬送や物資の搬入も困難を極めた。
薄磯では今夏、震災後初めて海水浴場が再開される。新道は海水浴場への近道としても利用されることだろう。
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