「こわくない入口」=写真=とはおもしろい。いわき市暮らしの伝承郷を訪れるたびに「ふふっ」となる。学習管理棟に常設展示室がある。ほんとうの入り口からすると、出口の扉の張り紙だ。
ほんとうの入り口は狭くて暗い。マモノの侵入をふせぐ意味もあるのだろう、村境に道祖神が並んでいる。暗いのは晩秋の夕暮れ、つまりは逢魔(おうま)が時、という設定だから。大人もほんとうの入り口から一歩中に入ると、少したじろぐ。
入り口を過ぎると、「暮らしと行事」「暮らしの中の子供たち」といった世界が広がる。全体のつくりは、記憶にはないが10カ月ばかりいたことのある子宮のような感じだ。
伝承郷へは小学3年生が社会科見学だか遠足だかで行くらしい。企画展示室への通路壁面に来館した小学生の集合写真が何枚も張ってある。「3年生が常設展示室に入るときに怖がるのか」と知り合いのスタッフに聞けば、もっと小さい子どもたちだという。なるほど、幼児には、夕暮れの村境は恐ろしい。
これも「こわくない入口」から始まったのではないか。大正14(1925)年3月、国会で治安維持法が可決される。「無理やりに質問全部終了」(治安法案委員会)「世論の反対に背いて治安維持法可決さる」(衆院本会議)。当時の新聞の見出しと同じようなことが、今度の国会でおきた。
「治安維持法は伝家の宝刀に過ぎぬ/社会運動が同法案の為抑圧せられる事はない=警視庁は語る」はずが、昭和8年には「治安維持法の運用を拡大強化」といった見出しが躍るところまでいく。
「こわくない入口」をくぐったら、内心の自由まで監視される世界が待っていた、なんてことにならないか。多少なりとも「時代とメディア」の関係を調べている身としては、過去と現在の相似が気になる。
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