2017年6月9日金曜日

「うえいぶ」最終号

 年度替わりには総会・打ち合わせ・書類作成その他の雑務が途切れなく続く。合間に、コミュニティ内の危険個所検分、地区球技大会、一斉清掃などもある。あした(6月10日)の朝は、公民館清掃が待っている。ほかに4~7月は週1回、計15回のおしゃべりとその準備がある。ここにきて、ようやくコミュニティの仕事に一区切りがついた。ということで――。 
 いわきの総合雑誌「うえいぶ」の第50号(最終号)=写真=を、ちょっと遅れたが紹介する。42号から編集を担当した。「編集後記」を以下に転載したので、よろしければお読みください。

 追記=いわきのヤマニ書房、鹿島ブックセンターなどで発売中です。
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「うえいぶ」は1988年6月、いわき地域学會が発行母体となって創刊し、途中から「うえいぶの会」に引き継がれた。どちらも同学會初代代表幹事、故里見庫男さんが牽引役になった。<創刊の辞>に「文化の諸相にわたる広汎な情報と視点を提供するために、本誌を編む」とある。それから29年、本誌は今50号をもってひとまずその役目を終える。所期の目的が達成されたかどうかは、読者諸氏の判断にお任せするほかない。

 創刊号にサブ特集<巨大地震のくる日>が載る。藤井陽一郎茨城大学教授(当時)が「福島県沖巨大地震の可能性」、高橋紀信磐城高校教諭(同)が「招かれざる客」の論考を寄せた。第3号では、推進・反対を含めて特集<“原発”は身近な問題だ!>が組まれた。2011年3月、「原発震災」が起きる。「先見の明」があったと誇るものではないが、私たちが享受する文明への恐れ、巨大システムへの不安のようなものが漂いはじめていたことは間違いない。

「うえいぶ」の文化的ルーツについて、里見さんが自著『地域の時代へ』に記している。〈Ⅱ 文学研究〉所収、「山村暮鳥と東北」の最終3行。「いわき地域学會も、暮鳥が大正初期にまいた地方文化創生の一粒であると思っている。雑誌『うえいぶ』には、暮鳥の血が流れている、そう思いながら『うえいぶ』の発行を続けている」。里見さんの追悼特集が載る42号の後記でも、この文章を紹介した。


「うえいぶ」は暮鳥に始まる近代いわきの「地方文化創生」の流れに位置する。「広汎な情報と視点を提供する」思いの淵源には暮鳥がいる、という認識にはハッとさせられた。それを胸に、「50回までは出す」と語っていた里見さんの“遺言”にしたがって、ここまで仲間と歩んできた。協力をいただいた執筆者、並びに購読者、広告スポンサーの皆様に深謝し、「地方文化創生」を受け継ぐ若い世代に期待をかけつつ、筆を擱く。

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