2017年6月24日土曜日

花のコースター

 飲み会に行ったら、座卓に花びらをあしらったコースター(コップ敷き)が用意されていた=写真。花の字のつく店だった。「人生花づくし」という題で、演歌調の“ポエム”が記されていた。
「親の教えは きくのはな/人の悪くち くちなしで/頭(こうべ)は垂れて ふじのはな/笑顔あかるく ひまわりで/愛をはぐくむ ばらのはな/心清らか しらゆりで/世は移ろいて あじさいの/月日は早く たちばなで/散りぎわさやか さくらばな/先は浄土の はすのはな」

 キクと「聞く」、クチナシと「口」、タチバナと「経ち」は掛けことばだ。イメージの固定しているものでは、シラユリ=清純、サクラ=潔い、バラ=愛、ヒマワリ=笑顔。現実はしかし、ポエムとは違う。親の言うことは聞かなかった。人の悪口も言った。バラは、とげが痛かった。世の移ろいやすさや月日のはやさはその通りだったが。

 別のポエムもある。作家林芙美子作で世に知られているのが、「花のいのちはみじかくて/苦しきことのみ多かりき」。ところが、別バージョンでは続きがある。「赤毛のアン」の訳者村岡花子に贈ったものは、「花のいのちはみじかくて/苦しきことのみ多かれど/風も吹くなり/雲も光るなり」。死んだらおしまい、生きていればいいこともある、そんな意味だろう。

 きのう(6月23日)から、マスメディアもネットのソーシャルメディアも小林麻央さんの死を大きく取り上げている。

 ご本人がこんなことを記していたという。「まだ34歳の若さで、可哀想に。小さな子供を残して、可哀想に。私はそんなふうに思われたくありません」。なぜなら、「病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです」。
 
 さわやかな風も吹き、白い雲も光った。短くて苦しいだけの人生ではなかった。病気がかえって愛を深めた。最後のことばが「愛してる」だったそうだ。夫へ、子どもたちへそう言って、彼岸へ旅立った。どのくらい長く生きるかではなく、短くても「色どり豊かな人生」を生きられた、という思いに、無念を越えた幸せと救いを感じてほろりとした。

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