2018年2月21日水曜日

カレーのレシピは娘に

 2月もはや下旬。寒暖の波を繰り返しながらも、気温のグラフは上昇線を描いている。夏井川流域の「梅前線」は平地から渓谷の手前、小川町上小川字高崎地内にまで到着した=写真。今年(2018年)は少し遅いような……。
 梅の花が満開のなかの死だった。きのう(2月20日)、73歳で亡くなった知人の通夜へ夫婦で行ってきた。2人の娘さんのうち、下の子が喪主になった。近くに住んでいて、ふだんから故人と行き来していたからだろう。

 知人はカレー店のオーナー。4日前の拙ブログでも触れたが、昔、家が近所で、子どもの幼稚園が同じだったため、朝は私が子どもたちを幼稚園へ送り届け、午後はオーナーの奥さんが迎えに行った。

 子どもたちがまだ幼稚園へ通っているうちに、平・神谷(かべや)へ引っ越した。やがて行ったり来たりする頻度が減り、子どもたちも大人になった。父親はしわが寄り、頭髪が後退した。彼女たちの母親とはときどき、スーパーなどで顔を合わせているから、こちらの“変貌”ぶりは承知している。

 焼香にあわせて喪主にあいさつする。「だれだっけ?」といった顔をした。それはそうだろう。「○×のとうちゃん」。次の瞬間、「○×君のおじちゃん、おばちゃん!」。そういって、カミサンの腕をつかんだ。

 もう1人の娘さんに頭を指さして「こうなったんだよ」というと、「大人のたしなみとして何もいいません。45になりました」。頭の回転が速い子らしい言葉が返ってきた。悲しい席の場なのに、ついはじけてしまった。ホトケ様もそのくらいは許してくれるだろう。

 このあと、通夜振る舞いの席に移動した。おっ、カレーがある。「ドージーのカレーですか」「そうです」。文庫本半分くらいの発泡スチロールの食器に盛られたカレーライスを食べる。やや甘いかな。舌が真っ先に甘みに反応したが、遅れてまろやかな辛みが広がる。20年ぶり、いや30年ぶりくらいにコクのある味を堪能した。お代わりをしようとしてやんわり断られた人もいる。

 あとで母親に聞く。下の子が入院中の父親の指南でカレーを試作した。最後は父親伝授のワザをレシピにまとめて、通夜の客に出したのだという。

梅の花の次には桃の花が咲く(父親は娘に桃と名づけ、花と名づけた)。父親のカレーの味を娘が家庭で引き継ぐ。ここでは一足早く桃の花が咲いた――この一点だけでも、カレーに生きた父親は安心して彼岸へ渡れるだろう。

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