2018年2月11日日曜日

「猫のお福分け」

 きょう(2月11日)は東日本大震災から6年11カ月の月命日。いわきサンシャインマラソンの日でもある。前夜に降った雨は、未明にはやんだ。
 けさの新聞は石牟礼道子さんの死を大きく取り上げている。享年90。前日、石牟礼さんの訃報がテレビで流れたあと、ツイッターやフェイスブックに哀悼のことばがあふれた。

 1月31日、朝日新聞文化面に石牟礼さんのエッセー「魂の秘境から 7 明け方の夢」が載った=写真。石牟礼さんは猫好きだったらしい。若い友人が訪ねて来て、ケータイで猫の写真を見せた。「猫のお福分け」にあずかった気分になる。「お福分け」という言葉に引かれて、切り抜いておいた。
 
 朝日のエッセーを読み直す。猫は石牟礼さんにとって水俣の海の異変を告げるシグナルだった。昭和30年代の初めごろから、猫が「狂い死に」するようになった。そのわけを知りたくて、石牟礼さんは家の仕事の都合をつけては漁村を訪ね歩く。「猫に誘われるまま、のちに水俣病と呼ばれる事件の水端(みずはな)に立ち合っていたのだった」

 遅まきながら思ったのは、これは口述筆記かもしれない、ということだ。石牟礼さんの文章は聞き取りを基本にして組み立てられた。記録文学のジャンルに入るのだろうが、水俣の土地のことば(方言)を編み込んだ比喩の独自性に重いリアリティーを感じてきた。エッセーではそういう比喩性が感じられなかった。

 それはさておき、記者もまた記録することの意義を自分に問いかけ、問い直す必要があるのではないだろうか。
 
 新聞記者に問われるのはと、今さらできなかったことをいうようなものだが、事件・事故といったストレートニュースだけでなく、なにか自分でテーマを見つけてアフターファイブに取材を重ねる――そのくらいの気概があっていい。「苦海浄土」はそのためのバイブルになる。

 地域には地域固有の課題がある。地域と運命共同体の地元メディアは、その課題と向き合わざるを得ない。沖縄は米軍基地、長崎・広島は原爆、熊本は水俣病、福島は原発事故。それぞれの課題の根っこにあるのは、個々人の尊厳に対する侵害、それに「ノー」ということだろう。

 石牟礼文学は、その意味では地域を深く掘り下げて普遍に至った「世界文学」だ。池澤夏樹さんが編集した世界文学全集に日本から唯一、石牟礼さんの「苦海浄土」が入ったのもうなずける。文章の独自性・創造性は比喩しだい。それを石牟礼さんは示した。

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