県道小名浜四倉線から北方に見える山並みと雲の写真を撮るため、田んぼのあぜ道に曲がって車を止めると、そばに立て札があった=写真。「おんべいまつり (御幣=氏神) 10月15日 白山神社々務所」と書いてある。
「おんべいまつり」? よくわからないままいると、週明け月曜日(10月15日)、若い人が「本日は氏神祭。神社から受けた御幣を、早朝、庭の氏神様に納めた」と、フェイスブックで報告していた。これか!
早速、わが家にある民俗学関係の本に当たる。ネットでも確かめる。いわき地域学會副代表幹事を務めた故佐藤孝徳さんの文章が目に留まった。
年中行事が忘れられてゆく。旧9月の氏神祭くらいは残してほしい――と前置きして、「氏神とは家(氏)を守護してくれる神で、先祖の人々がまつられている。だから、秋に収穫された稲を供え、神とともに分かち合って食べるのが、この氏神祭りである」と解説していた。
祭りの名は「まつられる幣束からきているようだ。(略)神を敬う意味から接頭語の『御』を付けて『御幣』。それを『おんべい』と読むのが標準語なのだが、わが磐城のお国言葉だと、訛って『おんべん』と言う」と佐藤さん。「おんべい祭り」(幣束祭り)は、土地の言葉では「おんべん祭り」になるのか。
さすがは「いわきの『歩く百科事典』」。生きていれば、電話一本でさらに詳しく聞くところだが……。
「おんべいまつり」を知らなかったのは、庭に氏神さまをまつるような家ではなかったことが大きい。それに、各家の行事でもあるので、メディアがニュースにすることもなかった。
いわきの隣、阿武隈高地の川内村ではどうか。いわき地域学會が請け負って調査・執筆した『川内村史』のうち、 第3巻「 民俗篇」(1988年)には陰暦9月の年中行事として、「9日ツトコまつり」が紹介されている。
「幣束まつりともいう。新しい米に小豆や栗を入れたおふかしをつくり、小さく握って藁のツツコに入れて氏神様に供える。諏訪神社の神官が幣束を準備し、各家に届ける」。いわきの白山神社では、氏子が社務所へ受け取りに行ったのだろうか。あとで図書館から『いわき市史 第7巻 民俗』(1972年)を借りてきて読んでみよう。
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