2018年10月12日金曜日

薄磯でカフェを再開

 きのう(10月11日)午後、外出から帰ってフェイスブックをチェックすると、薄磯復興協議委員会の「カフェーサーフィンオープン」の記事が目に留まった。「薄磯にとっては震災後、初めての飲食店となり、ほんとうにうれしい再開でもあります」。複数のFB友が記事をシェアしていた。
すぐカミサンと出かける。わが家から車でおよそ10分。薄磯が大改造されて新しい道ができたため、少しカフェが近くなった。

 2011年3月11日――。大津波が岩手・宮城・福島県などの太平洋沿岸を襲った。いわきの薄磯も壊滅的な被害を受けた。海岸堤防のそばにあった「サーフィン」(鈴木富子さん経営)は流され、すぐ裏の自宅も1階部分が津波にぶちぬかれた。鈴木さんはかろうじて避難して無事だった。

 鈴木さんは、カフェとは別にキルトなどの手仕事をライフワークにしている。カミサンは店(米屋)の一角でフェアトレード関係の小品や古い布切れなどを扱っている。で、鈴木さんが古布を買いに来る、私らが「サーフィン」へコーヒーを飲みに行く、ということを震災前に続けていた。

 震災後の2011年7月。日曜日にかぎって通れるようになった海岸沿いの道を利用して薄磯地区に入ると、津波に流されてほぼ更地化したなかに、1階部分の壁は抜けながらもポツンと立っている建物があった。鈴木さんの家だった。そこに鈴木さんが立っていた。災後初の再会が生存の確認になった。

防波堤で津波の来るのを眺めていた住民はそのままさらわれた、義理の弟夫婦など身内も6人いっぺんに失った――大津波が押し寄せてきた当時の様子を生々しく語る鈴木さんに、黙って向き合うしかなかった。

 その後、鈴木さんは常磐湯本町で「サーフィン」を再開する。湯本は母親の出身地。自分も湯本駅前で生まれた。店を再開したものの、鈴木さんは海とともにある暮らしが忘れられなかった。いつかは薄磯に店を再建したい――湯本の店で強い思いを語った。それが、やっと実現した。

 前に店があったところは防災緑地に替わった。宅地化された丘陵のふもと、豊間小学校の近くに新しい「サーフィン」が建つ。外観は黒一色=写真下。前と同じように、1階は駐車スペース、カフェは2階にある。店の入り口に立つと、鈴木さんと目が合った。「うわさをすれば……」とにっこりする。先客にキルトの仲間がいた。その人たちとカミサンの話にでもなったのだろう。

 コーヒーを頼んだ。まず、小瓶とコップが置かれる。お冷やである。小瓶も、コーヒーカップも、受け皿も一つひとつ異なる。気に入ったものを店のインテリアと用具にする。鈴木さんの遊び心は健在だった。

 ひととおり店内=写真上=を見回し、落ち着いてから聞いてみる。「なぜきょうに?」「豊洲のオープンに合わせたの」。震災の月命日だから、ではなかった。親戚かだれかが市場に関係していて、それに合わせたのだそうだ。予想外の答えが返ってくるところが、また鈴木さんらしい。
「紹介するね、娘と嫁さん」。厨房では若い女性が2人、忙しそうに立ち働いていた。「通いなので、営業時間は午前11時から夕方5時まで。定休日は月曜日と第1・3日曜日。孫のお相手もしたいからね」。話がわかりやすい。

 薄磯は震災後、景観が一変した。海は高台の宅地からしか見えない。それでも、潮風が「サーフィン」をなでていく。

 マチに住んでいて、週末にはヤマの隠居で過ごす。思いたったら、今度はウミへ――息抜きの場所がひとつ増えた。海を感じながらのカフェ再開を心から喜んでいるのがわかるほど、鈴木さんの表情は明るかった。

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