2018年10月23日火曜日

古希祝いの同級会

 常葉中学校の同級会が日曜日(10月21日)、郡山市の磐梯熱海温泉で開かれた。昭和23(1948)年4月~24年3月生まれの団塊世代のど真ん中だ。もともと人口の少ない阿武隈の山里の学校なのに、5クラス二百数十人がいた。うち50人が参加した。
 同39年春に中学校を卒業後、5年刻みで同級会を開いてきた。全体の同級会としては最後になるようだ。「あとはいつ会えるかわからない」。そんな思いで参加した同級生が多かったのではないか。卒業以来、初めて、あるいは2回目という同級生が何人かいた。

一次会は型通りの大宴会。部屋に戻ってからの二次会が壮観だった。部屋が人で埋まった。部屋は大部屋、といっても中は和室で、4人用と3人用に仕切られている。4人部屋と3人部屋、ソファとテーブルが置かれている窓際の広縁の3カ所に分かれて、旧交を温めた。

「二次会は部屋で」と予約段階で話がついていたとかで、仲居さんがグラスを運んできた。アルコールは持ち込んだ。ふだんは飲まないような酒を用意したという。それで終わらなかった。話し足りないグループは、そのあと別の部屋で三次会に突入した。

 私は、三次会の話は翌朝聞いた。二次会が終わったのは夜更けの11時。ふだん9~10時に寝ているので、11時には睡魔が降りてきた。翌朝は5時すぎに起きた。前日に続いて雲一つない快晴だ=写真。頭もスッキリしている。同級会で二日酔いにならなかったのは初めてだ。

二次会ではアルコールを避けて、コーラにした。それにはワケがある。およそ1カ月前、いわきの夏井川渓谷にある隠居で福島高専の同級生6人でミニ同級会を開いた。飲み過ぎて足をとられて転び、座卓の角にしたたか胸を打ちつけた。

くしゃみをすると激痛が走る。整形外科で診てもらったら、左の10番目の肋骨が折れていた。湿布と胸バンドをして静かに過ごすようにいわれる。3週間後、順調に回復しているという診断。この間、自戒の意味も込めて禁酒していたので、そろりそろりとアルコールのリハビリを始めた。

とはいえ、「治った」とは言われていない。また酔っぱらって転び、ろっ骨を傷めた――となると、笑われるどころか怒られる。で、アルコールは一次会止まりと決めていたのだ。でなかったら、三次会までつきあって、「頭痛の朝」を迎えたかもしれない。

 おかげで、同級生の話をしっかり胸に刻むことができた。小学2年で自分の家の焼失と避難を経験した町の大火、ふるさとの山のスカイラインに林立する風車、放射性物質の全量検査をしている米、祭りや学校を直撃する少子化問題――など。「冥途のみやげ」ではすまされない「ふるさとの現実」がそこにあった。

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