2018年10月8日月曜日

北海道の猪狩満直

 いわき市好間町川中子(かわなご)出身の詩人猪狩満直(1898~1938年)は、今年(2018年)5月、生誕120年を迎えた。それを記念する企画展がおととい(10月6日)、市立草野心平記念文学館で始まった。同館の開館20周年記念も兼ねる。12月24日まで。
 展示内容についてはあした(10月9日)紹介するとして、きょうは満直の北海道移住時代について書いてみる。

満直の盟友に好間・菊竹山で開墾生活を送った吉野義也(三野混沌)・せい夫妻がいる。せいは短編集『洟をたらした神』で大宅壮一ノンフィクション賞・田村俊子賞を受賞した。なかに、満直の思い出をつづった「かなしいやつ」がある。その注釈づくりの過程で、国の北海道移民政策や移住後の満直一家の暮らしぶり、満直の理想とする農業のかたちなどを探った。

移住して開墾に血汗を流していたころ、満直は混沌に次のような返事の手紙を出す。

ここ二ヶ月というものは粉骨砕身、文字通りの生活だった。殆ど時間空間の意識もないはげしい労働の中に躯(からだ)を投げ込んでいた。予定通り二町歩の開墾終了。稲黍、ビルマ豆(菜豆)、ソバまいた。(略)秋の霜害がなかったらこれで飢える心配はない」。ビルマ豆はインゲン豆の一種で、小豆の代わりに餡(あん)の材料に使われた。「ビルマ豆ご飯」は北海道の郷土食でもある。

「釧路では余り水田は見られない。工費がかかるということだ。近所の川津という人のところに八反歩ばかりある。珍しい。そこで蛙が鳴く。俺もデンマルクの農業でも研究して理想的な農業経営をやりたいと思っている」。デンマーク式農業、つまり有畜農業を目指しながらも、妻の死を経験し、北国の厳しい自然に挫折を余儀なくされた。

 同文学館では、20年前にも生誕100年展を開いている。今度の企画展では、前回よりさらに詳しく北海道情報が得られるのではないか、と期待して見に行った。

今年6月、学芸員が撮影した釧路国阿寒郡舌辛村二十五度線(現釧路市阿寒町紀ノ丘地内)の「猪狩満直開墾地跡」の動画がエンドレスで上映されている=写真。

 ひと昔前までは下草刈りが行われていたらしく、生えている木々は少ない。光が差し込んでいる。繰り返し動画を見ているうちに、画面やや右奥にシラカバが1本、左手にはカシワの木が何本かあるのがわかった。手前にはエゾブキも繁茂している。小さな葉を茂らせている高木はハルニレだろうか。

宮沢賢治の樺太(サハリン)詩篇のなかに「(こゝいらの樺の木は/焼け野原から生えたので/みんな大乗風の考をもつてゐる)」という詩句がある。2年前、仲間とサハリンを旅したとき、シラカバが道路沿いに延々と生えていたのには驚いた。道路を開くとシラカバが先行的に芽生えるらしい。

福島県西郷村の標高1000メートルほどの高原に国立那須甲子(なすかし)青少年自然の家がある。原発震災直後、そこに数日間避難した。施設の周りにシラカバが群生していた。いわきでは一カ所、芝山(標高819メートル)の頂上近くに林がある。いわき市内ではほかにほとんど見かけない北国の樹種だ。

 満直が、尋常小学1年の長男・マコトと同級生の女の子・七ちゃんを詠んだ詩に、シラカバの樹皮が登場する。

「二人は今、尋常の一年生/今日も学校のひけがおそいと思ふと/腹のすいたのも忘れて林に入り/野ブドウ、コクワ、クルミ/七ちゃんが木にのぼればマコトは下でそいつをうける/二つの魂はああして野つ原でそだつていくが/もうそろそろ二人は/クルミはお金になるのだといふことも/白樺(がんぴ)の皮は焚きつけにいいつてなことも知りはじめてゐる/さて二人はどうなるだらう」(百姓日記(七))

混沌は「北海にゃ熊がいるぞう。吹雪の熊が、開拓の熊が」と、移住を断念するよう説得したが、満直は聞かなかった。好間・川中子の肥沃な土地が天国だとしたら、北海道のやせた土地は地獄だ。1本のガンピ=シラカバがそれを象徴しているように思えてならなかった。

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