人形浄瑠璃の「勘緑 秋のツアー2018 この地球に生まれてこれから先どない生きんねん!」は、勿来の知人が中心になって実行委員会を組織し、いわき公演が実現した。連絡がきて実行委員になり、7月下旬に顔合わせが行われた。
いわきの未来会議、双葉郡未来会議、勿来ひと・まち未来会議、シャプラニールいわき連絡会が協力し、個人が参加するかたちで役割を分担した。
それから公演までわずか2カ月余――。フェイスブックを介して連絡を取り合った。チラシの原案ができればたちまち修正が入る。チケットの販売状況もリアルタイムで表示される。こういう人たちと仕事をすれば、上司は左うちわでいられる、と思った。
公演のPRもフェイスブックとクチコミだけで行われた。かつて飯を食ってきたオールドメディアに予告が載ったかどうか、私は確認していないが、定員の50人には達した。若い人たちが新聞を必要としない現実に触れて、だれかに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と吠えたい気分になった。(TUFが密着取材をしたので、来られなかった人はぜひ宵の番組をチェックして)
会場のアートスペースもりたか屋(平・三町目)は、初めての人には“倉庫”としか見えないだろう。板や柱がむき出しになっている。「アングラ劇場」風の殺風景を、逆に勘緑さんが気に入った。
シリアから戦火を逃れてパリに着いた難民の避難生活を描いた「二人の難民」(マラス兄弟)は、地下室を舞台にした会話劇だ。「黒いユーモア」(マラス兄弟)にふさわしいバックの黒い暗幕。会場がいかにもそれらしい空気をかもし出していた。
沖縄戦をモチーフにした「ボーン・オン・ジス・プラネット(この地球に生まれて)」(木偶舎とマラス兄弟)は、音楽が古謝美佐子さんの歌。艦砲射撃や空襲、火炎放射などを連想させる擬音が、シリア内戦の空爆をも想起させる。
舞台の暗幕の裏にはシリア空爆で亡くなったり、傷ついたりした子どもたちの写真が張ってあった。ふたつの演目の合間に観客が写真を見た。私は2人の孫(小5と小3)の顔が思い浮かんで胸が痛くなった。自然災害、原発事故、戦争――さっきまでの生が死に変わり、だれもが難民になり得る時代を生きている。7年半前の原発震災がそうだった。
生で見る初めての人形浄瑠璃だが、三人遣いは頭に手と足が連動する。微妙で繊細な動きに目が吸い寄せられた。とりわけ、沖縄劇の最後に登場した弁慶のような人形には引かれた=写真。あとで聞けば、民俗学の折口信夫がいう「マレビト」だった。マレビトは「他界から来訪する神あるいは霊的存在」と定義される。戦争の犠牲者を追悼し、平和と幸せを祈る象徴として海のかなたからやって来たのだろう。
実行委員会に入って内側から見たこともあって、劇を二倍楽しむことができた。若い人と知り合うこともできた。あの日以来、「平穏な日々」が奇跡的なものであることをかみしめているが、そのありがたさを再認識するイベントでもあった。
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