坊主頭に下駄、黒い学童服、女子はおかっぱ頭――。いわき市立美術館で開かれている「写真家がとらえた昭和のこども」展=写真(チラシ)=を見ながら、ここにはそのころの自分がいる、という懐かしさとともに、当時の出来事、喜び・焦り・うぬぼれ・怯えなどがよみがえった。
木村伊兵衛「枯れ枝拾いのこどもたち 長野県・上田市」(昭和24年)/土門拳「おしくらまんじゅう 東京都・江東」(同28年)/同「ゴム跳び 東京都・築地明石町」・木村伊兵衛「紙芝居 東京都・月島」(同29年)/田沼武能「道に落書きする子どもたち 東京都・江東」(同36年)は、13歳までの私が経験したことでもある。
木村伊兵衛ではなく、土門拳の「紙芝居」に写る子どもたちの何人かは、たんぱく質が足りなくて青っ洟(ぱな)をたらしている。私も一時、そうだった。吉野せいのいう「洟をたらした神」だ。道路の電信柱を支えに「馬乗り」をやり、「だるまさんがころんだ」をやった。キャッチボールも道路でできた。ほかに、「月光仮面」がいて、「チャンバラ」の剣士がいた。子どもは「新聞配達」もした。
昭和30年代前半、高度経済成長前の子どもの世界をひとことでいえば、「貧しいけれど楽しかった日々」となるだろうか。貧しいからこそ支え合う暮らしがあり、遊びやけんかがあった、家の中で、家々の間で。「自助」と「公助」の間の「共助」の世界――。
一人ひとりのエネルギー消費量も少なかった。どの家でも鶏を飼っていた。店をやっていても菜園があった。朝起きると家の前の道路を掃くのが子どもの日課だった。かまどや風呂の焚きつけにするため、町の裏山へ杉の落ち葉を拾いに行かされたこともある。地域の資源を中心にした循環型社会――。
異常気象が日常的になった今、地球温暖化を少しでも抑えるために、高度経済成長前の共助とリサイクルを学ぶ必要があるのではないか。昭和20~30年代は「懐かしい過去」である以上に、「学ぶべき未来」になるのではないか。そんなことを思いめぐらしながら2階ロビーへ出ると、関連の催しとして動画「いわきの昭和」がモニター上映されていた。つい座って見入った。
1階ロビーのニューアートシーン「大久保草子展――始まりの森」も見ごたえがあった。
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