先日の「世界ふれあい街歩き」(BS1)はマレーシアだった。首都のクアラルンプールなどが紹介された。
番組を見ながら、30年以上前に同国からやって来た大学生のホームステイを引き受けたことを思い出した。名前はウィー、22歳。中国系で、土木工学を専攻していた。
そのころ勤めていたいわき民報で、1面コラム(執筆者は複数)とは別に、週1回、「みみずのつぶやき」と題したコラムを持っていた。
そこに2回、マレーシアの大学生のことを書いた。単行本にした『みみずのつぶやき』にあたると、平成3(1991)年7月3日付で「アジアの本を読む」=写真=が、同年11月20日付で「ウィーのいわき観」が載っていた。
中曽根首相がアセアン諸国を歴訪し、西暦2000年までに同諸国の青年1万人を日本に招待することを約束した。
昭和59(1984)年に事業が始まり、平成3年にはウィー君らが1カ月間、日本へ招待された。地方滞在はいわきが一番長かった。
ホームステイは3泊4日で、「英語と中国語、日本語の単語をペンと口で、身ぶり手ぶりを加えてパッチワークすると、ほぼ言わんとするところは了解できた」。
「ウィーは陽気で、才気に富んだ子だ。中国語で即興の詩をいくつも作った。聞けば、シンガポールの新聞にも投稿している文章家である」
さらに帰国後、ウィー君からマレーシアの華字紙「星州日報」の切り抜きが届いた。彼の「日本訪問記」5回目にいわきでの民泊体験がつづられている。
中国語に堪能な市職員氏に翻訳をしてもらい、それを踏まえて2回目のコラムを書いた。
「わが家に滞在中、春のクリーン作戦が行われた。『前もって大掛かりな宣伝活動や議員を呼んで儀式を行う』のではなく、『村民』は『ほとんど自発的に早起きし、大掃除運動をする』――その点に、彼は日本人の社会への帰属意識と責任感を見て取った」
川前の「大自然保護森林」へ案内したときの印象。「『世界の最先進工業国のひとつに数えられる日本に、桃源郷のごとき大自然の天地、汚染を受けない空気、人を引きつける山々、そして忘れ難い草木があった』」
この記述にはハッとさせられた、と自分で記している。「日本人は自分の国の森を守り、代わりにマレーシアの森を切り払うのか――日本を恨みに思う人々の存在が、ふと垣間見えたからである」
それから33年がたった。ウィー君はどこで、何をしているのだろう。「世界ふれあい街歩き」を見たあと、国名に彼のフルネームを加えて検索したら、わが目を疑った。2022年当時の運輸大臣の名前が出てきた。
もちろん、同姓同名の別人ということはありうる。が、当時の考えや発言からして、マレーシアのリーダーの一人になっていてもおかしくはない。
名前を漢字にして検索を続けたら、表情や体形など、記憶と重なる画像がヒットした。もしかして、あのときの青年では……。そんな思いが強くなってきた。
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