2024年3月1日金曜日

可処分時間

                      

  「可処分所得」があるからには、「可処分時間」もあるはず――。ネットで検索すると、「定義」らしいものに出合った。

 睡眠や食事、トイレ、仕事といった、生きていくうえで最低限必要な時間を差し引いた残りの時間を指すのだという。

要は、自分の自由に使える時間のことだが、総務省の令和3(2021)年社会生活基本調査によると、現代人はそれが6時間ちょっとらしい。

私が現役のころは、平日は単純に仕事を終えて就眠するまでの5時間ほどで、6時間はなかったように思う。しかも、その大半は晩酌か飲み会で消費した。

ただ、「モノを書いて食っていけるなら本望」と考えていた人間には、記事を書いて給料をもらう仕事に就いた(新聞記者になった)時点で、仕事と趣味が溶け合い、可処分時間の境目があいまいになった、という記憶はある。

その意味では、年金生活を続けている今、日中はほぼ可処分時間になった。とはいえ、区内会の役員をやっているので、1年を通して定量的に時間を取られるようになった。

まずは月3回の回覧物配布、そのための振り分け。行政区内や区外を含めた会議、各種行事……。

朝から晩までということはまずないが、1時間、あるいは2時間といった単位で縛りがある。

それはしかし、地域、あるいは所属する団体の話。家庭の中でも可処分時間のやりとりがある。

前にカミサンがひざを痛めた話を書いた(2月28日付の「神頼み」)。すると、アッシー君の頻度が増える。新たにモノの運搬などを頼まれる。

重症で入院といったレベルの話ではない。ほんの少しだれかの手伝いが必要になる。つまり、「介護」よりは「互助」のレベルの話だ。

家の中で自分の可処分時間がたっぷりあったのは、カミサンが家事を一手に引き受けていたからだと、あらためて知る。

私が引き受けている家事は、漬物づくり・食事の後片付け・風呂の掃除くらいだ。なかでも漬物は、半分、趣味みたいなところがある。

この冬は直売所から3回、白菜を調達し、それが切れかかるころ=写真、4回目を買って漬けた。

糠床はいつもだと、食塩の「ふとん」をかけて冬眠させるのだが、暖冬だったため、毎朝、かき回してきた。冷たいことは冷たいが、いやになるほどではない。いつでも漬けられる状態にしている。

というわけで、白菜漬けと糠漬けは家事には違いないが、可処分時間のうちに入ってもおかしくはない。

ひざの次は何が……。カミサンは隣家に住む弟の世話も引き受けている。義弟はデイケアサービスを受けている。

その延長でいえば、これから身内による「在宅互助」が少しずつ増えていく。それぞれが可処分時間を融通しあうようになるのだろう。

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