2024年3月21日木曜日

小さな楽しみ

                      
 前に「可処分時間」について書いた。加齢とともに、体のあちこちが傷み、ひとりではどうしようもない事態に陥るときがある。それを周りの人間がカバーする。その分、その人の自分の時間は減る。

 一例が、ひざを痛めたカミサンの、接骨院への通院だ。近くにある。腰だけのときには歩いて行き来した。

 しかし、ひざでは歩くこと自体が負担になる。アッシー君を務める。送り届けると、すぐ家に戻る。治療が終わると連絡がきて迎えに行く。

気が付けば、私も、隣に住む義弟も体力が落ちた。何度も書いていることだが、足腰が弱っていることを自覚するようになった。

 家族が家族の世話をするのは当たり前――。確かにその通りだが、可処分時間からいえば、それぞれがその時間を減らして、相手を支えることを意味する。

 それは悪いことではない。けれども、やはりというべきか、それなりにストレスもたまる。それを感じることが増えてきた。

 では、それをどう解消するか。私の場合(カミサンもたぶん同じだろう)は、日曜日に夏井川渓谷の隠居で過ごすことだ。これが一番効く。

 月~土曜日の「日常」を忘れて、日曜日は「非日常」に身を置く。土いじりをする。庭をブラブラする。

 しかし、日常的にはやはり晩酌、そして季節のおかずだろう。ひとくちかふたくちで十分だ。それでしこった気持ちが、ストレスがほぐれる。

 先日は、まだつぼみの菜の花がからし和(あ)えになって出てきた=写真。もらい物なので、量はそうない。しかし、季節の食べ物である。口にしたとたん、舌と心が喜んだ。

 レストラングルメではない。「どこの何がうまい、行ってみよう」となるときもあるが、あらかたは家庭料理で満足している。

 原発事故が起きる前は、山野を巡って山菜を、キノコを採って食べた。サバイバルグルメを自称していた。

 季節ごとに小さな楽しみがあった。それが毎年、食卓に変化と彩りを添えた。ところが、原発事故で森を巡る楽しみが消えた。

 栽培ナメコを買ってきて、野生キノコを食べたつもりになる、といったことを書いているが、それも加齢とともに変化してきたようだ。

 今までできたことができなくなるのと同時並行的に、栽培ナメコではやはり満たされない気持ちもふくらんできた。

 最近知った言葉に「レスパイト(一時休止)」がある。介護の分野で使われる。家族がデイサービスを利用していても、別の家族には介護疲れが蓄積する。家族の骨休め、気分転換のために準備されたシステムだ。

 本人自身が休息のために一時入院をする、そのために訪問介護を利用する、といったことも用意されている。

 そこまでいかなくとも、リフレッシュ(気分転換)する必要性をいちだんと感じるようになった。

加齢による衰えは確かに進んでいる。そのスピードを遅らせるためにも、小さな楽しみを多く持つのが大事なようだ。

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