2024年3月6日水曜日

水道工事

                      
 わが家の道路向かいの家が解体されて更地になった。結婚して子どもができたあと、カミサンの実家(米屋)の支店をまかされるかたちで、戸建ての市営住宅から今の家に移った。以来、50年近く見てきた家が消えた。

 平屋の母家と隠居、板張りの土蔵、歩道と接する生け垣。昔ながらの、ごく当たり前の屋敷だったのだが……。

 この古い家を、というより土蔵を介して「向かいの家」を意識するようになったのは、東日本大震災のあとだ。

 あのとき、東北地方は激震に見舞われた。不幸中の幸いというか、沿岸部から5キロも内陸に入っているので、津波は免れた。

 わが家は「大規模半壊」に近い「半壊」だった。で、プレハブの離れは解体したが、母家は一部を修繕しただけでそのまま使っている。

 道路向かいの土蔵は解体されて、簡易な2階建ての物置ができた。生け垣はブロック塀に替わった。その前後の流れをブログに書いていた。それを抜粋する。

【2011年4月28日】道路向かいにある家の土蔵が解体された。311で傾き、4・11と412でさらにダメージを受けた。

真壁の土蔵を板で囲い、瓦で屋根を葺いた、重厚だが温かみのある「歴史的建造物」だった。

幹線道路沿いには、ほかに土蔵は見当たらない。歩道側の生け垣とよく合い、独特の雰囲気を醸し出していた。土蔵の前を下校中の小学生が通る。絵になる光景だった。

ブロック塀で仕切られた駐車場が土蔵に隣接してある。311以後、車の持ち主は塀から5メートルも離れて車を止めるようになった。土蔵が崩壊すればブロック塀ごと車が押しつぶされる。容易に想定される事態だ。その危険性はひとまず解消された。

あの日。外に飛び出すと、近所の石塀が崩れ、あちこちで屋根瓦が落ち、向かいの土蔵が傾いていた。消防の車が来て、「人的被害は?」「ない」で、次のところへ移動した。

【2023年12月27日】先日、物置から解体が始まった。母家も含めて更地になるのだという。毎日見てきた風景だから、残像がまだなまなましいが、やがてはどんな家で、どんな人が住んでいたか、も含めて、記憶から抜け落ちてしまうにちがいない。

ましてや、行きずりの新しい更地などは「前に何があったんだっけ」となる。グーグルのストリートビューさえ、つかの間の記録にすぎなくなった。 

――さて、更地になったあとは宅地として分譲されるのだという。先日、そのための水道工事が行われた=写真。

いったい何軒が建つのか。2軒分はらくにある。まさか4軒はないだろうと思うが、最近の建売住宅を見ると、その可能性もゼロではない。

ま、それは新しい所有者の考え次第だが、新住民はどの区内会に入るのか。旧所有者は隣の区内会に入っていた。それを踏襲するのかどうか、その時点で新しい動きが出てくるかもしれない、などと別の区内会の人間は考えてしまう。

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