2024年8月1日木曜日

初めての新紙幣(上)

        
 新紙幣に切り替わってから、およそ1カ月。やっと千円札の北里柴三郎(1853~1931年)にお目にかかった=写真。

1万円札の渋沢栄一は最初からあきらめていた。ふだんの買い物からしてそうである。中心になるのは100円、500円玉か千円札の野口英世だ。

 1万円札は月に2回ほど、銀行から年金を引き出すときくらいしか見たことがない。5千円札(古い樋口一葉でも、新しい津田梅子でも)は、さらになじみが薄い。

 北里を、とにかく早く見たい。新千円札が巡ってくるのを待っていたのは、いわき出身の高木友枝(1858~1943年)が彼の一番弟子だったからでもある。

 野口もまた北里の門弟で、千円札は、実は門弟から恩師へのバトンタッチだった、ということになる。

 5年前、新紙幣が発表になったとき、ブログで北里と高木の関係について触れた。それをここでも要約・紹介する。

――現いわき市渡辺町出身の医学者高木友枝は、台湾では「医学衛生の父」と呼ばれる。

 田口文章北里大名誉教授のエッセー「暮らしと微生物」によると、高木はペスト菌を発見した北里柴三郎の一番弟子で、師の指示で日本が統治していた台湾に渡り、伝染病の調査や防疫など公衆衛生的な仕事に尽力した。

 総督府医院長兼医学校長、総督府研究所長などを務めたほか、明石元二郎総督時代には台湾電力会社の創立にかかわり、社長に就いた。

 もともとは細菌学者である。ある研究レポートによると、畑違いの電力会社に関係したのは「人間関係の調整能力」を買われて、だった。

田口名誉教授は、それとは別の見方を示す。マラリア研究の権威でもあった高木は、「衛生状態の改善には経済的な発展が必要」と考え、みずから社長になって台湾電力を創設した。

 要するに、公衆衛生の官僚・学者としても、人間としても高い評価を得ていた、ということだろう――。

 新紙幣をじっくり眺める。国立造幣局の「新日本銀行券特設サイト」ものぞいてみた。北里は「近代日本医学の父」とあった。

新旧千円札はサイズが同じだという。新しい紙幣の表面には3ホログラム、高精細すき入れなどが施されている。裏面は世界的に有名な葛飾北斎の「神奈川沖波浪」の絵。

ホログラムについては、3Dで表現された肖像が回転する最先端技術を、銀行券としては世界で初めて採用した、とある。高度な偽造防止技術が施されているということなのだろう。

いわき、あるいはいわきの人間と関係している、という点では、北里と高木ばかりではない。

1万円札の渋沢もまたいわきの炭鉱経営者、いわきの政財界人である白井遠平と深い関係にあった。それについては別稿で。

0 件のコメント: