「舌頭に港町十三番地ひばり逝く」。二日酔いの頭に字余り俳句がポロリと口をついて出た。
美空ひばりさんが亡くなったのは1989(平成元)年6月24日午前零時28分。土曜日だったので、たぶん朝のニュースで彼女の死を知った。
その日の夜、「いわきの里 鬼ケ城」でまちづくり団体関係者の合宿に加わり、夜を徹して酒を飲み、議論した。
そのあと、夜明け前の野鳥の合唱に誘われて外に飛び出した。うっすら明けかけた空の下、バンガローが並ぶキャンプ場をうろつきながら、彼女のヒット曲「港町十三番地」を口ずさんでいた。それが冒頭のへぼ俳句につながった。
それから36年後の今年(2025年)。6月22日の日曜日は、磐越東線小川郷駅前で8時から朝市が始まるのに合わせ、早めに家を出た。朝市で野菜を買ったあと、夏井川渓谷の隠居で少し土いじりをした。
9時を過ぎると郡山行きの、次いでいわき行きの2番列車が通過した。2番列車の前に土いじりをすませたのは、ここ何年かでは初めてだ。
それから1時間余りたって、カミサンから声がかかった。「海へ行こう」。薄磯海岸にあるカフェ「サーフィン」で昼食をとろう、という意味である。
カミサンは部屋を夏座敷に切り替え、私も生ごみを埋め、草をむしったあとはやることがない。じっとしていても汗がにじむ。海風のイメージに誘われて、ここは素直にアッシー君を務めることにした。
ヤマ(渓谷)からハマ(薄磯)へ。平市街経由でおよそ1時間、サーフィンには正午前に着いた。
私はグリルサンド、カミサンはナポリタン。サーフィンではいつもこのパターンだ。それを食べ終えるころ、先客の女性からスマホで誘われたらしく、地元の女性が来店した。塩屋埼灯台の下を通って来たという。
灯台のふもとには「雲雀乃苑(ひばりのその)」がある。そこが人でいっぱいだった。そうだ! ひばりさんの命日に近い日曜日である。雲雀の苑では追悼イベントが行われているのだ。
ひばりさんは晩年、長い入院生活のあと、いわきの塩屋埼の海をモチーフにした「みだれ髪」と「塩屋岬」で「復活」を果たした。
その縁で「みだれ髪」の歌碑と遺影碑、「永遠のひばり像」が灯台のふもとに立つ。去年10月には、京都太秦(うずまさ)映画村にあったブロンズの「ひばり像」が移設された。
その像が、3・11の大津波で亡くなった人々を悼む姿に見えることから、映画村閉館後の安置先として雲雀乃苑が選ばれたのだった。
これは、見にいかなくては……。しかし、駐車場はどこも満パイだった。カミサンに頼んで、助手席からパチリとやって通り過ぎた=写真。
37回忌である。地元の「歌手」が出演し、じゃんがら念仏踊りが披露されたという。
ひばりさんを偲ぶファンの多さに驚き、歌手としては別格の存在だったことをあらためて実感した。
0 件のコメント:
コメントを投稿