いわき市出身の詩人草野心平(1903~88年)を調べていたとき、資料として目を通していたはず。昔のいわき民報の記事である。
いわき市に合併する前の平市で講演し、確か糠漬けを例に、夢を追い求めることの大切さを説いていたような……。
自分のブログを読むと、講演したのは昭和27(1952)年12月だった。そこまでわかれば簡単だ。
図書館のホームページに「郷土資料のページ」がある。そのなかの「新聞」をクリックすると、デジタル化された地域新聞など72紙を読むことができる。
いわき民報は昭和21年の創刊から同56年までの記事が収められている。それをチェックすればよい。
昭和27年12月7、9日の上・下で講演要旨が掲載されていた=写真。紙齢2000号を記念して、いわき民報社が主催した文芸講演会だった。演題は「文化というもの」で、その一例として心平はナスの糠漬けを取り上げた。
だれでも色も美しく、うまく食べるにはどうすればいいかを考える。そして、ナスの身になって、ナスにも夢があるとして、こう述べる。
ナスに聞けば、ナスもまた「どうせ食べられるなら、きれいに、そしてうまく漬けたと、だれからも珍重がられるように漬けてもらいたい」と答えるだろう。
ナスの気持ちを尊重し、うまいナス漬けをつくるために創意工夫を加え、いろいろな方法を考慮し、実験しながら、ナス漬けをよくすることを発見していくものなのだ。
つまりは、夢が文化の原動力になる、文化は持続的な夢の発展によって創造される、というのが結論のようだ。
このとき、心平は49歳。川内村を訪れるのはその翌年だから、まだ東京で破天荒な暮らしを続けていた
心平らしいと思ったのは、「ナスに聞く」、あるいは「ナスの気持ちを尊重する」というところだろう。
故粟津則雄・元市立草野心平記念文学館長(文芸評論家)は、「草野心平のもっとも本質的な特質のひとつは、ひとりひとりの具体的な生への直視である」と述べている。
この直視力は動物・植物・鉱物・風景にも及ぶ。ナスだって人間だ、というわけである。
カブやキュウリだけでなく、タケノコを糠味噌に漬け、フキを、セロリを漬けて思ったのは、だれもが心平のいう「創意工夫」と無縁ではない、ということだ。
やはり、うまく漬けるにはどうするか、漬かったものをどう切るか、入れ物を含めて、いろいろ考える。別の言葉でいえば、たかが糠漬け、されど糠漬け。
文化は生活様式、つまり生活術そのもの。大事なのはやはり、今日の糠漬けをどううまくつくるか、だ。
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