2025年6月3日火曜日

球技大会が終わった

                                
  「やっと」。あるいは「どうにか」。そんなつぶやきがもれそうな球技大会だった。いつになく事前の連絡・調整が多かったことによる。

6月に入るとすぐ、8行政区による地区対抗球技大会(男性・ソフトボール、女性・バレーボール)が行われる。コロナ禍による中断のあと再開された。今年は6月1日に行われた=写真。

直接、メンバー集めに奔走したわけではない。が、バレーでその役目を引き受けてくれた人は苦労したことだろう。

私は内心、勝手にその人を区内会の「サポーター」と呼んでいる。その人がいるからバレーの出場メンバーがそろい、去年は優勝までできた。今年はさらに、ソフトの希望者にも道を開いた。

地域の少子・高齢化が進み、メンバー集めが年々厳しさを増している。再開後はこの問題が顕在化し、参加を見合わせる行政区があらわれた。

わが行政区でも、メンバーがなかなか集まらない。バレーはなんとか選手がそろったが、ソフトは今年も棄権することになった。

傷害保険の関係で、メンバー表は大会の10日前までには体協事務局(公民館)に提出することになっている。

ソフトをやりたいという個人がいる。サポーターから連絡を受けた時点で、とりあえず参加希望者だけのメンバー表を届けて、他行政区に合流できる道を探った。初めてのことである。

わが区は、大きな行政区が三つに分かれてできた一つで、もう一つの「分家」である隣接する行政区の区長に連絡すると、チームへの合流を快諾してくれた。

実は区長協議会や体協理事会でも球技大会の将来を見越して、「合同チーム」の動きが模索されてはいた。その動きに沿って受け入れてくれたのだった。

棄権と決めたから個人の希望は受け入れない、では前に進まない。個人の気持ちにも沿えるよう、体協・他行政区との連絡・調整を進めて、新しいかたちにこぎつけた。

大会当日の朝は曇天で冷たい東風が吹いていた。そのなかで個人参加の3人とともに、受け入れチームの区長にあいさつをし、試合を観戦した。結果はともかく、3人はチームの一員として試合に出場した。

やはり、ソフトは半数の四つの区が、バレーは二つの区が棄権した。わが区のバレーは1人欠員となったこともあって、初戦で敗退した。今年も優勝をと期待したが、そうは問屋が卸さなかった。

個人参加のための連絡・調整はけっこうな回数になった。私とサポーター、サポーターとソフト参加希望者、そして弁当の手配など、事前のやりとりは去年をはるかに上回った。

大会のそもそもの目的に従って、「勝敗」より「親睦」へ、「対抗」から「合同」へという時代の流れに沿った動きが、初体験の積み重ねが「やっと」「どうにか」に集約されたのだった。

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