2011年1月7日金曜日

キカラスウリ


<これは失敗だった>と、自分の行いを反省するときがある。平地のわが家にはなかったキカラスウリが、この数年、生け垣のマサキやサンゴジュにからみつくようになった。

夏井川渓谷の無量庵に生えたキノコを土ごと持ってきてほぐし、残土を庭に捨てたら、キカラスウリが芽生えて生け垣にからみついた。ヤマノイモ(ジネンジョ)もたぶん、同じ理由で捨てた土にまじっていた種が芽生えたのだろう。同じ生け垣につるをのばす。

ヤマノイモは食べられる。で、これに関しては根茎が地中でどんどん肥大するのを待とう、という気になる。キカラスウリの種を食べる人もいるようだが、そこまでは食指が動かない。放っておくだけだ。

いや、待てよ、放っておいては種が拡散する――そう実感したのは、去年のクリスマスのあと。なにげなく生け垣を見たら、レモン大のキカラスウリの果実が黄色く熟し始めていた。秋には「青いレモン」だったのが、年末には「黄色いレモン」になった=写真。

「黄色いレモン」が裂けて種を散らす前に摘み取り、ごみ箱に入れて夏井川渓谷へ還流しよう。わが家の庭の「自然環境」は、渓谷ではなく平地の自然の変化にまかせるべきなのだ。手を加えすぎてはいけないのだ。

とすると、ヤマノイモも掘り取るべきだろう。いや、しかるべきときにつるを刈り取ればいいのだ。要は、花が咲き、実がなる前に手当てをする。それに尽きる。

2011年1月6日木曜日

「鳥小屋」見学


隣の行政区から「鳥小屋」ができたので見に来ませんか、という案内状が届いた。「祝い酒、甘酒、おでん等を準備してお待ちしております」。なんだか、宮沢賢治の童話にあるような話ではないか。区長さん以下、役員数人が4日午後3時半ごろ、冬田の一角に建てられた「鳥小屋」を訪ねた。私は初参加だ。

いわきの人間には、「鳥小屋」は自明の正月行事だろう。が、阿武隈の山中で生まれ育った私は、行事の意味がしかとはつかめない。7日早朝、正月飾りとともに小屋を燃やして無病息災を祈る――ということは、新聞・テレビを通して知っている。それはしかし、表層的な理解であって、民俗学的にはまた違う解釈があるらしい。

平・中神谷西地区。農業を主にした、昔からの集落だ。その周辺に新しい家がぽこぽこ建った。もともとは一つの行政区だったのが、大きくなったので三つに分かれた。“分家”して北区と南区が生まれ、“本家”は西区になった。

西区の役員さんら数人が応対してくれた。この日は民話を聴く会が開かれ、木だんご飾り(木の枝に花餅をつける)が行われたために、自由参観は午後3時から。その時間に合わせての見学だった。

稲わらで囲った「鳥小屋」は、広さがざっと2間四方だろうか。孟宗竹で骨組をつくり、それを縄でくくっている。てっぺんのブルーシートは雨除けで、「お焚き上げ」の日にははずされる。その下、“屋根裏”にはゴザが敷き詰められている。床の中央には炉が切られ、古畳が敷き詰められていた。一角に神棚があり、向かって左側にユズ、右側にキンカン?が差してある=写真。

囲炉裏には自在かぎがつるされ、コンニャクの入った鍋がかかっている。炉端の青竹は1メートル強。一カ所にふたが切られていて、日本酒を温めていた。それを、竹でつくったひしゃく、とっくり、さかずきで客にふるまう。甘酒もある。コンニャクは味噌田楽になる。ほかにもいろいろ酒のつまみが用意されている。

天井のゴザは、畳は燃やすのか。ゴザはそのまま燃やすが、畳は燃やさずに近くの清掃センターへ運ぶのだという。畳は燃えにくい。鳥小屋が灰になってもくすぶっている。そもそも畳屋からもらってきた古畳だ。最後に一働きして別の場所で「お焚き上げ」となる。

時折、薪(まき)の煙が部屋の中に広がった。民話を聴く会にやって来たこどもたちがそうだったように、久しぶりにいぶられ、涙目になった。

2011年1月5日水曜日

車の運転


先日、若い人間と酒を飲んだとき、「いわきは車の運転の荒さでは有名」という話になった。とっさに、40年前の“駆け出し記者”のころの話を思い出した。

同年代の「同業他社」氏が福島からいわきにやって来た。仲良くなって、あれこれしゃべるうちに、「いわきの人間は、車の運転がおっかない。だから、青信号になってもすぐには発進しないようにしている」と言った。赤信号でも突っ込んでくる車がある、ということだろう。

彼は転勤を重ねて、やがて同じ浜通りの北部で仕事をするようになった。ある日、わが家にやって来た。「いわきは車が多い=写真。めまいするくらいだ」。<浜通りの北部はいわきより人口が少ない。車も少ない。いわきよりゆったりしているから、車の流れになじまないのだろう>と思った。

そうではなかったのだ。単に、人口を反映した車の量の違いではなくて、いわき人の荒い運転の本質が神経を刺激していたのだ。

若い人の話はこうだ。「『なにわ』と『いわき』の平仮名ナンバーは警戒される。運転が荒いから」。「なぜ、いわきの車は運転が荒いのか? ヤマ(炭鉱)とハマ(漁業)があったから」。別の「同業他社」の先輩が指摘していたのと同じ理由を述べる。

とっくに人間は一世代、交代した。社会的なルール・マナーはその間に学習しただろうが、相変わらず車の運転は荒い。

「荒れた運転」はしかし、そこに暮らす人間にはわからない。それが当たり前だから。他地区の人の運転との違いを科学的に示すようなデータはないものか。

2011年1月4日火曜日

海岸林の鳥


正月三が日は「ハレ」の日なりに過ごした。元日は年賀状書き。夜は孫がうろうろするなか、せがれたちと酒を飲んだ。二日目。カミサンの実家で年始客の応対をするはずだったが、遅れて客は帰ったあと。「箱根駅伝」を伝えるテレビにかじりつき、いわき出身の柏原竜二君の力走を見たあと、新舞子海岸の林の中にある飲食店へ出かけた。

どういうわけか、カミサンが車に常備している双眼鏡をバッグに入れた。私もつられてカメラを手にした。店は、大きな窓ガラスがはめられていて、林内を見渡せる=写真。飲み物を頼んだあと、なにげなく窓の外を見ていたら、林床に鳥がうごめいていた。

双眼鏡をのぞいていたカミサンに言われて見ると、キジバトだった。近くにアカハラもいる。アカハラは盛んにくちばしで落ち葉を散らしていた。虫でも探しているのか。

バードウオッチングが始まった。店のすぐそばの松の木にメジロが現れた。2羽。カメラを向けたが、デジカメの悪いところでけし粒のようなメジロには焦点が合わない。そのうち,目のぱちくりとしたヒタキ系の鳥が現れた。双眼鏡をのぞくと、ルリビタキの雌だった。これも写真に撮ったが、「前ピン」だった。

松を中心に木々が散在している。常緑のトベラがある。名前のわからない落葉樹もある。少し間伐したらしい。落ち葉かきもしているらしい。

アカハラが“かっ散らかしていた”のは落ち葉の山だった。そんな落ち葉の山があちこちにある。虫たちには格好のベッドだ。自然の状態だと、こうは温かい風景にはならない。窓ガラスをはさんで、内側では人間が飲食し、外側では鳥たちが食事をしている。偶然、知った探鳥スポットだ。

2011年1月3日月曜日

「ありがとう」


去年は春から秋まで毎朝、いきものがかりの「ありがとう」という歌を聴いた。NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」のテーマソングだ。いやがおうでも覚えてしまう。BSハイビジョンは7時半から放送する。これを見る。カミサンは朝食の準備をするため、台所に立っている。わが家では、昔から私が朝ドラの視聴者だ。

大みそかの紅白歌合戦――。ついつい、というか、年越しの習慣のようなもので、始まりから終わりまで見てしまった。途中で、今回は二つのキーワードでくくることができるように思った。「感謝」と「祖(父)母」だ。

「感謝」は「ありがとう」。浜崎あゆみがのっけから母親に「ありがとう」と歌う。西野カナが親友に「ありがとう」と歌う。植村花菜が祖母に「ありがとう」と歌う。いきものがかりが文字通り、「ありがとう」を歌う。

「祖(父)母」は、植村花菜の「トイレの神様」、HYの「時をこえ」。「トイレの神様」はともかく、「時をこえ」は初めて聞いた。先の戦争で沖縄は戦禍に見舞われた。そのときの体験を「おばあ」から聞いて、<誰かに伝えなくちゃ、僕らが伝えなくちゃ>と決心する。沖縄の若者の心は深い。

私には孫が二人いる。満3歳と1歳。彼らは、いずれ宇宙の塵と化する私たちをどう記憶するのだろう。私自身は、祖父の記憶はない。

祖母は二人とも、15歳前後まで生きていた。憎まれ口をたたいたこともあるから、記憶はまだ生々しい。が、父方の祖父は私が生まれてしばらくしてから死んだらしい。母方の祖父は幼いころ、暗い部屋に寝ていたのを見た記憶がある。ガンかなにかだったのだろう。が、どんな顔だったのかは、遺影で知るだけだ。

母方の祖父母の遺影を掲げる=写真。私は、半分はこの人たちの血を受け継いだ。祖母は阿武隈高地の産。祖父は“流民”。少年のころ、仙台から流れてきて阿武隈の山里に住みつき、ささやかながら土地と家を手に入れた。

紅白歌合戦から「孫の時代」を思い出し、祖父母と孫の関係に思いがめぐり、草の根の生涯を送った人々がいて私たちがいる、やはり彼らに「ありがとう」だな、という気持ちになるのだった。

2011年1月2日日曜日

スカイツリー


元日付の新聞で建設中の「東京スカイツリー」の詳細を知る。完成すれば自立式の電波塔としては世界最高の603メートルだ。去年12月はじめに、第二展望台の上にのっかるてっぺん部分(ゲイン塔)まで成長した。その時点で高さは511メートル。

台北(台湾)に「タイペイ101」と呼ばれる、高さ508メートル(軒高448メートル)の超高層建築物がある=写真。去年秋、仲間と台湾旅行をした際に訪れ、382メートルの展望台から台風の乱雲に覆われた台北の街並みを眺めた。成長するスカイツリーがついに「タイペイ101」を抜いた――師走にそんな感慨をいだいた。

「タイペイ101」は、秋の時点では世界2位だった。1年前、ドバイ(アラブ首長国連邦)に尖塔部分を含めると828メートルという超高層建築物「ブルジュ・ハリファ」が完成し、営業を始めた。軒高は160階、636メートルというから、飛びぬけて高い。「タイペイ101」はその時点で世界一の座を譲り、今また「東京スカイツリー」に追い抜かれた。

新聞によると、スカイツリーの第一展望台は375メートルの下にある。「タイペイ101」の展望台は、スカイツリーの第二展望台よりは低いが、第一展望台よりは高い。スカイツリーの第一展望台からの眺めが想像された。

鳥になれない人間は空中楼閣に立つと、腹がキュンとなって肛門がムズムズする。高さに比例して重力が恐ろしさを増す。

それはさておき、超高層建築物ではエレベーターのスピードが気になる。なぜ? 昭和43(1968)年早春、「36階147メートル」という、日本で最初の超高層ビル「霞が関ビル」が仮オープンした当初、ヘルメットと作業服姿でエレベーターボーイをしたからだ。

建設中から外側に取り付けられた仮設エレベーターの操作をまかされていた(ボタンを押すだけだが)ので、その延長でのバイトだった。本エレベーターはとにかく速かった。

「東京スカイツリー」は下から第一展望台まで約50秒だという。「タイペイ101」は5階から89階の展望台まで37秒。「タイペイ101」の方がやや速いか。「タイペイ101」のエレベーターは日本の会社がつくった。そんなことが、私にはうれしい発見だった。

2011年1月1日土曜日

『くじけないで』


2011年の幕が開けた。元日だから寝坊しようと思ったが、体が言うことをきかない。朝6時前後には起床する習慣がしみついている。ブログも休もうかなと思ったが、どうにも気持ちか落ち着かない。新聞2紙を読み終えてからパソコンを開けた。

年末に「いわき長寿学園 麦の芽会」から20周年記念文集が届いた。昨年夏、急死した知人の代わりに臨時講師を務めた縁だろう。会員には何人か旧知の人がいる。恩師の奥さんもその一人。

記念文集を開いたら、奥さんが「一遍の詩に魅せられて」と題して、今年100歳になる詩人柴田トヨさん(栃木)の詩を紹介していた。柴田さんの詩集『くじけないで』=写真=は、年末の新聞広告では「90万部突破」のベストセラーになっている。わが家にも帯に「60万部突破」と刷られた詩集がある。カミサンがいつの間にか買って読んでいたのだ。

恩師の家では産経新聞を購読している。1面の題字わきに詩の投稿欄「朝の詩(うた)」がある。<忘れもしない、平成二十年四月二十日掲載の、>と奥さんは書く。<『くじけないで』という詩が、目に留まりました。>

<柴田トヨさん(九十七歳)という方の詩です。/まず、お歳を見て驚きました。わたしは、「七十七歳の誤りではないのかしら」と。そして、この詩に心惹かれるものがあり、手帳に書き留めておきました。>

まだ作者がどんな人かも知らず、詩集にもならず、したがってマスコミで話題にもならない時点で、奥さんはしっかり柴田さんのことばを“貯金”した。こういっては失礼かもしれないが、生涯学習を旨とする普通の主婦の「慧眼」に感服した。

で、遅まきながら『くじけないで』を読む。「貯金」という詩に引かれた。<私ね 人から/やさしさを貰ったら/心に貯金をしておくの//さびしくなった時は/それを引き出して/元気になる//あなたも 今から/積んでおきなさい/年金より/いいわよ>