2018年1月6日土曜日

雨情記念童謡館が10年に

 野口雨情記念湯本温泉童謡館は平成20(2008)年1月5日、オープンした。きのう(1月5日)、開館10周年記念式典・コンサートが開かれた。案内がきたので何か手伝いでも――と出かけたら、一番前の列に座らされた。
 
 童謡館は昭和モダンの建物=写真。かつては銀行だった。「童謡のまちづくり市民会議」(九頭見淑子会長)が入館料をとらずに、ボランティアで運営している。

 雨情は妻と離婚後、常磐湯本温泉でしばらくくすぶっていた。童謡詩人として大成する前で、温泉旅館古滝屋社長の故里見庫男さん=いわき地域学會初代代表幹事=が湯本温泉時代の雨情について調べ、資料を収集してきた。その資料約1400点を里見さんが寄贈して、童謡館がオープンした。里見さんが初代館長に就いた。今は盟友の矢内忠さんが館長を引き継いでいる。
 
 私は、童謡にも雨情にもほとんど関心がなかった。たまたま会社を辞めた時期と童謡館の開館準備時期が重なり、里見さんから頼まれて目録づくりを手伝った。それを機に、雨情を調べ始め、情に厚い人となりを知るにつけ、全集だけでなく関連する本も読み漁るようになった。

 里見さんからはそのほかに、こんな宿題も出された。「毎月1回、文学教室をやってほしい。最初は金子みすゞ。あとは自由」。あわてて調べ始めた。調べてゆくうちに、水戸で生まれ、いわき市平で育った島田忠夫が金子みすゞと双璧をなす新進童謡詩人であることを知った。

「全国区」の童謡詩人であっても、どこかでいわきの人間とかかわっていないか、いわきとゆかりのある人間とつながっていないか――そういうネットワークの観点から、みすゞのほかに、みすゞの師匠の西條八十、八十の弟子のサトウハチロー、あるいは竹久夢二、そして雨情、暮鳥ゆかりの人々を調べては報告してきた。

 この宿題があったために、いわきの近代史にも興味がわき、今は吉野せい『洟をたらした神』の“注釈”づくりを楽しめるようになった。

 東日本大震災では、童謡館も被害に遭った。傷みがひどく、休館を余儀なくされた。そのままにしておくわけにはいかない――「童謡のまちづくり市民会議」が市の補助制度を活用して修繕し、2012年1月5日、再オープンした。1月5日は童謡館の原点の日だ。

 今年(2018年)は児童雑誌「赤い鳥」が創刊されて100年の節目の年。大正時代、「唱歌」を超える歌をと始まった「童謡」運動は、その初期に大きなうねりとなって日本列島に広がった。雨情はそのトップランナーだった。

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