年末にカミサンが風邪を引いて寝込んだ。新年を迎えると、今度は私がやられた。正月の2日はカミサンの実家へあいさつに行き、3日は孫を連れて遅くなったクリスマスプレゼントを買いに出かけた。それ以外は、世の中が年末年始の休みの間、ずっと家に閉じこもっていた。
元日の朝こそ、カミサンが起きて雑煮をつくったものの、あとはコンビニのおにぎりやカップヌードル、鍋焼きうどんなどですませた。きのう(1月4日)朝、体重を量ったら70キロを切っていた。わずか2~3日で2キロほど減ったことになる。
のどが痛い。鼻水が出る。ときどき寒気がする。でも、熱はそれほどではない。風邪薬が効いてそれ以上悪くはならなかったが、治りが遅い。カミサンはほぼ5日、私は3日、日中も横になっていた。こんなに長引いたのは初めてだ、年だね――ということで一致した。
きのう(1月4日)は世間一般でいう「仕事始め」の日。10年前に会社を辞めた人間にも、コミュニティ=暮らしの場の仕事がある。木曜日は「燃やすごみの日」。ごみネットを出すのが、今年の私の初仕事になった。少し時間がたってから家の前のごみ集積所を見ると、年末年始に出たごみでこっちのネットも、あっちのネットも膨らんでいた=写真。
そうそう、正月三が日に見た“夢”がある。年賀はがきのコメントを読んでビッグニュースかもと書いたが、あとで差出人に電話で確かめたら、周知の事実を早とちりしたとわかった。いわきの作家吉野せいの日記のことだ。
昨年、せいの日記の一部(短編集『洟をたらした神』の「梨花」の原稿になった部分)が遺族から市に寄贈された。11月の吉野せい賞表彰式の席で、市から遺族に感謝状が贈られた。その新聞記事を読んで、知人が年賀はがきに書いてよこしたのだった。
「梨花」については、せい本人が自分の日記をそのまま書き写した、と書いている。その日記の存在は前から知られていた。それ以外の日記があるはずだ、「梨花」以外の作品にも基になった日記があるはずだ、というのが私の見立てだが、研究者からは新しい情報は得られない。そこへ寄せられた「吉野せいの日記が見つかりました」だった。
夢から覚めてみれば、糠喜びだった。そんなものだ、人生は――と、これはあきらめではなく、現実の受容。でも、どこかに日記が眠っているはずだ、という“信念”だけはかえって強くなった。
0 件のコメント:
コメントを投稿