2018年1月3日水曜日

『焼け跡のハイヒール』

 師走のある日、80代の旧知のおばさんから電話がかかってきた。その何日か前に会ったとき、今読んでいる小説の話になった。「『焼け跡のハイヒール』っていうタイトルなの」「出版社は?」「祥、なんとか。あとで電話するね」
 盛田隆二『焼け跡のハイヒール』(祥伝社)だった=写真。去年(2017年)10月下旬に出版された。早速、図書館のホームページで確かめる。3館にあって、いずれも「貸出中」だった。暮れも押し詰まった29日、再びチェックすると、いわき駅前の総合図書館に本が返っていた。夕方、車を飛ばして借りてきた。

 本の帯から借用する。「焦土と化した東京で出会い、戦後を生き抜いた両親。二人は何を見て、いかなる人生を歩んできたのか。戦前、戦後から平成へ。百年史を辿(たど)った先に小説家がたぐり寄せた、はかなくも確かな一条の光」

 30・31日・元日・2日と、年をまたいで読み終えた。東京大空襲後、母親は14歳で上京し看護学校に入る。父親は通信兵として中国大陸を転戦する。どこにでもいる市井(しせい)の夫婦の家庭、庶民の暮らしが淡々とつづられる。戦争とはどういうものか――銃後、ないし戦場を追体験するうえでとても参考になった。

 大本営発表を垂れ流す新聞。天然ゴムの輸入が断たれたために、消しゴムは魚屋からもらった紋甲(もんごう)イカの甲羅をカサカサに干したものに代わる。音楽の「ドレミ」が「イロハ」に変わり、「ソミミ、ファレレ」は「トホホ、ヘニニ」と歌わないといけなくなった。日本酒の配給は一世帯当たり一カ月にわずか4合。飲兵衛は、これはこたえるだろう。

 戦後、両親が出会う。母親は新宿の闇市で赤いハイヒールを買い、大切にしまっていた。父親に映画を見に行こうと誘われたとき、ワンピースに初めて赤いハイヒールを履いて出かける。その2年後、父親が母親の栃木の実家に出向いて、結婚を前提にした交際を申し込む――。

 作家・雑誌編集者を経て、作家専業になった息子が両親の実人生をベースに、「戦争に翻弄(ほんろう)されつつも、数奇な運命に導かれ、鮮やかに輝いた青春」を描いた。作家の母親と読者の80代のおばさんは同世代だ。自分の人生を重ね合わせながら読んでいたに違いない。

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