2018年1月20日土曜日

“冬ごもり”は終わり

 1月も残すところあと11日。つまり、年があらたまってもう20日。きょう(1月20日)は午後、「神谷(かべや)地区新春の集い」が開かれる。地区区長協議会が主催する。
 世間はとっくに動き出している。が、わが家は年末から年始にかけて、夫婦で風邪を引き、それが尾を引いて“冬ごもり”状態が続いた。

 とはいえ、浮世の義理がある。5日、野口雨情記念湯本温泉童謡館の開館10周年記念式典・コンサートに顔を出した。14日、カミサンが小名浜大原の徳蔵院で開かれた「かんのん市」に参加し、シャプラニール=市民による海外協力の会のフェアトレード商品を展示・販売した。運転手を務めた。9日には小名浜の1年先輩の家で一泊飲み会をした。

 かんのん市では、必ず境内にあるマンサクとロウバイをチェックする。やはり咲いていた=写真(ロウバイ)。今年(2018年)もいつものように花が咲き、年がめぐってきた。哲学者内山節さん流にいえば、木の時間は循環し、蓄積する。それが年輪になる。

「新春の集い」が終わると、週明けから行事がめじろ押しだ。研修会(行政区の役員として)、新川ワークショップ(いわき地域学會の一員として)、隣接地区との区長合同新年会、次の週はさらに公民館関係会議、自主防災会研修会、公民館市民講座の講師、行政区の役員会、昔野菜フェスティバルと続く。

“冬ごもり”のおかげではかどったものがある。中央公民館から頼まれた新年度の市民講座(5月から月に1回、計4回)の中身をあらかた詰めることができた。拙ブログで何度も書いているが、作家吉野せいの短編集『洟をたらした神』の注釈づくりをしている。おかげで、せいの、あるいは夫・吉野義也(三野混沌)の、その時その時の心に少しだが触れえるような感覚を抱けるようになった。

 このところ、“洟神”のことを書きすぎるので、抑え気味にしているが、今もこれはこういう背景があった――ということを書きたくてうずうずしている。
 
 で、話は変わる。昨夜の食卓に出たさかなは文字通りサカナ。カレイの煮つけだった。久之浜の知人からもらった近海魚が三日連続、食卓に上った。まず、スズキのバター炒め。次の日はイシモチとカナガシラのから揚げ。そして、カレイの煮つけ。うまいサカナも、連夜では舌に重くなる。

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