2010年2月27日土曜日
市美展写真の部
いわき市民美術展覧会・写真の部が、きのう(2月26日)開幕した。私と孫の写っている作品があるというので、見に行った。「夕暮れさんぽ道」と題されていた。作者は愚息、つまり私の孫の父親だ。作品のもとになった写真がこれ。
息子一家はわが家から車で5分くらいのところに住んでおり、ほぼ一週間に一度の割でわが家へやって来る。それとは別に、孫はときどき父親と近所の踏切へ出かけては、貨物列車や普通列車に手を振っているようだ。
昨年秋のこと。いつものようにわが家へ遊びに来た。これから踏切へ行く、というので同行した。夕方4時すぎ、踏切近くの道を歩いているところを、愚息が写真に撮った。
手を離してもいいのだが、まだ3歳弱の男の子だ。急に走り出されると、怖い。右手人さし指を孫に握らせ、その上から孫の手首を軽く押さえながら歩いた。
市美展写真の部の審査員は写真家中谷吉隆さん。「夕暮れさんぽ道」についてこう評した。〈日常性のなかの光景に目を止めた作品で、散歩の情景を逆光線が巧みに使われ、モノクロームで捉えた画面には、作者の人物に対する優しい眼差しがある一方、祖父としか居られないこの子の淋しい現状をも感じさせる内容を持ち秀逸だった〉
〈祖父としか居られないこの子の淋しい現状〉は、一般論としては理解できる。そういう現実があることも承知している。ただし、“モデル”の一人としては異論がある。〈としか居られない〉のは“事実”ではない。
作品が語りかけるものは多様でいい。が、淋しさを言うなら、〈たまにしか孫に会えない祖父の淋しい現状〉がより正確かもしれない。
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1 件のコメント:
〈祖父としかいられない〉のか〈たまにしか孫に会えない〉のか? いやー 何とも言えません。
祖父は小さな存在をこの上もなく愛おしみ 孫はしっかりとそれを感じて歩いている。
二人の年齢がどれほど違っても通じている。
そしてそんなひとときを残しておきたいと思う撮影者。
祖父はやがて老いてゆくとも
三歳児は祖父のぬくもりを感じて間違いなく成長していく。いくのだぞ。、、、
いろんな風に見えます。
背中って表情がありますね。
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