2010年12月10日金曜日

田村地方の方言


乃南アサの書き下ろし長編小説『地のはてから』(上下2巻)=写真=を読んでいたカミサンが、「田村地方のことばのようだよ、『神俣(かんまた)駅』も出てくるし」と言って、移動図書館から借りた本を差し出した。

大正6年早春、「福島県の神俣」=現田村市滝根町神俣=から、ある一家が夜逃げをして北海道へ渡る。そのとき3歳だった幼女「とわ」が主人公で、大正から高度経済成長期前の昭和33年までの「とわ」の半生が描かれる。両親が田村地方の方言を使っているから、「とわ」も当然、同じ方言を話す。一家の「田村弁」が見事なほど正確に表現されている。

「とわ」の父親「作四郎」は農家の四男坊。家業をろくに手伝いもせず、結婚してからも落ち着かない。家を空けがちな「作四郎」に対して不安がる「とわ」の母親「つね」に、義兄嫁が語って聞かせる。まだ「とわ」が生まれる前、神俣で暮らしていたときのこと。

「あの人(しと)は昔(むがし)がら、何しゃでもかぶれやすいどごあっから、んだげんとも、おなごのけつぺだ追っかげるっちゅうわげでもねぁんだがら、あんまり気に揉まねぁで、うっちゃっておぎんせぁ」

小説に登場する最初の「田村弁」だ。同じ田村地方で生まれ育った私の母の顔が脳裏に浮かんだ。母は大正4年生まれ。「とわ」よりは1歳年下ということになるが、母の同世代の人たちは確かにこんなことばを使っていた。今も使っているだろう。

郡山市在住の方言研究家に力添えをいただいたと、あとがきにあった。大変な努力をして小説がなったことが分かる。

大正時代の北海道移住といえば、いわきの詩人猪狩満直もその一人だ。義父との確執を抱えていた満直もまた、夜逃げ同然に家族を連れて北海道へ渡った。北海道の厳しい自然とよく闘った、しかし敗れた――としかいえないような、40年の短い生涯。

阿武隈高地を挟んでいわきと田村は向かい合う。「神俣」の架空の一家の運命に、満直の生涯が重なる。

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