2010年12月14日火曜日

続・湯本巡検


きのう(12月13日)の続き――。いわき地域学會の巡検が土曜日、いわき市の常磐地区で行われた。午前中は石炭・化石館を見学し、昼食をすませたあと、湯本温泉街を巡遊した。国の登録有形文化財である「三函(みはこ)座」をのぞき、温泉神社を経て、野口雨情記念湯本温泉童謡館を見学した。最後は童謡館隣の広場で「足湯」につかった。

「三函座」へは初めて足を運んだ。通りから奥に入るのだとは聞いていても、どこから入るのかがわからなかった。白石菓子店のわきの細道を進むと、奥に映画のセットを思わせるような、大きな建物が見えてくる。それが、明治30年代に芝居小屋として建てられ、大正7年から映画館に変わり、昭和57年に閉館した「三函座」だ=写真

中は真っ暗。足元がおぼつかない。この歴史的建造物を利用して、12月24日(クリスマスイブ)午後、現代アートフェスティバル「三函座物語」が開かれるそうだ。多彩なイベントで「三函座」の空間は師走のひととき、「空虚」から「充実」に変わる。

「三函座」の建物は、今は白石菓子店の所有物になっている。旧知のご主人にあいさつし、帰りに再度店を訪ね、修学旅行生よろしく集団で「かりんとうまんじゅう」と「みそまんじゅう」を食べた。歩きながら食べたかったが、そこは我慢して、店の前でもぐもぐやった。うまかった。街歩きの楽しさでもある。

童謡館では、野口存弥著『野口雨情 郷愁の詩とわが生涯の真実』を買った。日本図書センターが刊行するシリーズ「人間の記録」172で、今年1月に出た。雨情の子息の存弥さん(近代文学研究家)が編集した。

なかに、「茨城少年社 野口英吉」(雨情)から東京の抒情詩社主内藤鋠策にあてた、大正9年2月15日消印の書簡がある。前年の8年6月、雨情は詩集『都会と田園』を刊行し、詩壇復帰を果たした。旧知の内藤が水戸を訪れ、雨情に上京を促す。その上京間際の様子を伝える。

梅が満開になったら知らせるから観梅にどうぞ――。「長久保君もゼヒにと申してお待ち致して居ります。太田、椙本(すぎもと)両氏も健全であります。椙本氏は相変らずです」。「長久保君」とは茨城民友社を興し、雑誌「茨城少年」を発行していた長久保紅堂で、雨情は雑誌の童謡欄の選者を務めた。「茨城少年社」はつまり、茨城民友社のことだろう。

「太田、椙本両氏」は同僚か。このうち「椙本氏」は、のちに東京日日新聞平通信部記者になる「椙本氏」と思われる。「椙本」記者は、いはらき新聞平支局に入った荒川禎三記者に、水戸時代、雨情と職場を共にしたことを明かしている。ただし、荒川氏の文章では、職場は常総新聞社であって茨城民友社ではない。雨情の書簡でそのどちらか、さらに雨情推理の幅が広がった。

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