知り合いの大学の先生が、ゼミ生6人を連れていわきへやって来た。きのう(6月2日)の午前11時すぎ。いわき駅前からワゴンタイプのタクシーをチャーターし、途中で私を拾った。
ナビゲーターなのか、ガイドなのかはわからない。結果的にそうなったが、午後4時前まで、久之浜(波立海岸=写真)から平薄磯・豊間へと海岸線を南下しながら、学生は津波被災地の今の様子を見た。
東日本大震災と原発事故。それを国内に向けて発信している人はたくさんいる。国外へ――学生に英語で伝えさせたい、そのための現地調査ということだった。
たとえばアジア。ベトナムだけでなくバングラデシュでも原発を建設する話がある。国民が、原発の何たるかを知ったうえで判断するならともかく、情報がなさすぎる。判断材料を提供したい、という思いがゼミの先生にはある。
学生たちは久之浜で、たまたま夫婦で被災地の様子を見に来たという浪江町の町議夫妻と出会った。二本松で避難生活を余儀なくされている。豊間では、私が電話をしたら「仕事場にいる」というので、知人(大工)の工務所を訪ねた。そのあと、わが家へ戻って、別の知人から原発事故と津波被災者の避難所暮らしの話を聴いた。
かたちの上では道案内になった。が、じっくり現場に立ち、歩き、見るということは、私でさえそうあることではない。大学3年生といえば、20歳そこそこ。若い感性と思惟に触れながら、こちらもゼミの一員になったような気分で過ごした。
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