照葉樹は、今が若葉のとき、花開くときなのだろう。タブノキが赤みがかった葉を広げ、クスノキが黄色い粒々の花=写真=をつける。落葉広葉樹とはまた違った、静かで地味ないのちの循環だ。
燃えるような紅葉にはならない。心がときめくような花にもならない。落葉広葉樹林帯で生まれ育った人間は、照葉樹林帯の木々の芽吹きと開花が少し物足りない。
それでも、木々の生きる時間は蓄積されて年輪になる。人間の生きる時間は矢のように過ぎて戻らない。いわき地域学會顧問の鈴木一さん(漢文=92歳)、柳沢一郎さん(地学=93歳)が先日、相次いで亡くなった。同じ日に葬式が行われた。通夜をはしごした。
お二人とは30年の年の差がある。教え子でもない。が、主にアフターファイブでいわき地域学會に関係し、柳沢さんとはさらに恩師の故中柴光泰さんを囲む「中柴塾」で一緒だった。柳沢さんは塾頭、私はしんがりの塾生。
お二人の思い出にひたっていたところへ、テレビが「ヒゲの殿下」こと、三笠宮寬仁さまの逝去を伝えた。
殿下は昭和47(1972)年7月、いわきを訪れ、湯本温泉に一泊したあと、小名浜・三崎公園から小名浜港と工場群を眺め、公害対策センター(現・環境監視センター)を訪ねた。そのあと、内郷の馬場児童館を見学し、平市民会館で青少年団体リーダーと、すぐ近くの勤労青少年ホームで利用者代表と懇談した。殿下は、そのとき26歳。
勤労青少年ホームでの懇談会を取材した。新聞社に入って2年目。その記事を若者向けのページに掲載した。いわき総合図書館できのう(6月8日)、中身を確認した。
「皇族に対するあなた方の考えを聞かせてほしい。皇族には戸籍も、選挙権もない。あなた方がうらやましい」。出席した17~25歳の若者にはいきなりの重い問いだったようだ。懇談は終始、殿下のペースで、若者はすっかり聞く側に回った。
「選挙権を持っている若者があまりにも日本に対して無関心すぎる」「英国人は王室に対して子供のうちからちゃんとした考えを持っているのに比べ、日本人はそうでもない」。殿下の言葉は率直で、真摯だった。その姿勢を貫かれた一生だった、と40年たった今、つくづく思う。
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